*結ぼれ心にうたた心 明けぬあたら夜 恋の闇路よ

ばしん、ばしん、晴れた朝に布団を叩く音が響く。叩いているのは子どもであり、子どもはこの長屋にごく最近住み始めた新参である。年は十を過ぎたかどうかというところだが、どういう事情か同じ部屋で若い男と同居している。という言い方をすると少々問題があるのだが、実際のところこの二人は親子や兄弟の類ではないらしい。

男の方は背の高い優しげな勤続五年目の教師であるが、これがまったくずぼらでだらしがない。ごみは溜める洗濯物は溜める、ようやく洗ったかと思えば、生乾きで皺だらけの着物をそのまま着て平気な顔をしていたりする。休みの日には不精髭もそのまま昼過ぎまで寝ているし、大きな体のわりに食べるものにも頓着せず、土の付いたままの芋やしなびた菜っ葉をそのまま齧っている。さすがに見かねた隣の婆が南瓜を煮たのを分けてやってやったところ、器を洗わず放置して虫を沸かせたらしくたいそう激怒させた。回覧板は止めるし当番制の溝掃除はさぼるし、ご近所の女方が「ちょいとあんた」と呼び止めようものなら、愛想笑いを浮かべて逃げてしまうといった体たらくだった。
「あれじゃあ女も寄り付きやしない」

それが前触れもなく親子ほども年の離れた子どもを連れて帰ってきたのだから、小さな長屋にちょっとした騒ぎが巻き起こった。

「やっぱり隠し子かしら」
「にしては年が近過ぎるよ。弟か、親戚の子どもじゃないの」
「先生と呼んでいたわよ。自分の教え子を引き取ったのよ」
「何のために?」

子どもの名はきり丸といった。以来、家事はほとんどこの子どもが請け負っている。休みに二人で戻ってくることもあれば、きり丸が一人で留守を任されたりもしているようだった。小さな体でかまどを炊き、背伸びしてはたきを掛け、ご近所の女方に声をかけて洗濯を請け負い、子守りもするし内職もする。いつも笑顔で愛嬌のある子どもは、名ばかりの保護者である男とはまったくもって正反対と言ってよかった。この子と暮らすようになって男は皺のついた着物を着なくなった。きちんと髭を剃り、三食きちんと食べて肌つやも良くなり、ゴミ捨ても溝掃除当番もさぼらなくなった。身なりを整えて「いつもありがとうございます」と周囲に会釈するようになった頃には、皆でうれし涙を流したものだ。
「あとはお嫁さんが来てくれれば一安心」
そう言うと男はいつも愛想笑いを浮かべていた。子どもは決まって何か言いたげな顔で、じっと男の方を見詰めているのだった。

同じ長屋に帰ることになった初めの頃、子どもは警戒しているように見えた。家賃の何割を入れるだとか居住可能期限の念書を書けだとか、やたら細かい決まりを作ろうとするので、対価として掃除と洗濯と炊事を任せることになった。子ども曰く「ぜったいに借りを作りたくない」のだそうで、幾ら気にしなくてもいいと説いても一向に頑なな態度を崩さなかった。男にはその姿勢がいっそ清々しく思えた。
出される薄い雑炊も、慣れれば美味いような気がしてくるから不思議だ。ほんのひと切れの野菜や魚なんかが入っていた時に大げさに喜んでみせると、気を良くしたのかたまに入れてくれるようになった。周りより遅れていた算術を空いた時間に教えてみるとやたら呑み込みが早いので「お前は地頭が良い」と誉めたところ、驚いて数秒固まってから嬉しそうにへらりと笑った。
仕事が立て込んで一緒に帰れない日はわかりやすく落ち込んで、夕暮れ時に戻ってみれば家の前で健気に待っていたのには参った。一緒に風呂に入りたがり、夜は同じ布団に潜り込んでくるようになった。己を亡き父親に重ねているのだと思った。町へ買い物に出かけた際に「はぐれるといけない」と手を繋いでやると、真っ赤になって俯いていた。おや?という疑念が過ぎったが、気のせいだろうと打ち消した。今思えば、もしかしたらこの辺りだったのかもしれなかった。


***


「先生が好きです」
頬を染めて、唇を震わせてきり丸からそんなことを告げられた日、土井は全身から血の気が引くのを感じた。咄嗟に「まずいことになった」と思った。家を焼かれ、家族を失い、一人きりで生きてきた子どもに出来る限りの愛情を注いでやろうと心に決めていた。身内のように接しているつもりでいた。しかし如何せん、土井本人もとうの昔に家族を失っている為か、いまいち身内の感覚が掴めないでいたのだ。だからいつか山田家でしたように囲炉裏を囲み、語らいながら夕餉をいただき、勉強を教えて、頭を撫でて、膝に乗せて本を読んで、――ああ、あの頃の利吉くんはもう大きかったんだっけ。子ども扱いしないでくれと怒られたような気もする。愛情に飢えた十の子ども相手にはいささか近すぎたのかもしれない。親愛と恋慕を混濁させてしまうほどには。
「先生がすきです。ずっと一緒にいたいです」
真っ直ぐな瞳がこちらを見詰めてくるのに耐えられず、土井は目を逸らした。この子の愛を受け取るのは良い。それがこの子のすべてであることが問題なのだ。体じゅうで好意を伝えてくる子どもは罪がなくて無条件に可愛い。抱き締めてほほ笑んで、それからどうする?無償の愛なんて、そんなものは知らないのだ。知らないものはどう足掻いたってあげられないのだ。
「……私もお前を大切に、大事に思っているよ」
欲しいものを貰えなかった時の子どもがするような仕草で、きり丸は顔を傾けた。よくわかりませんとでも言いたげに、形の良いほそい眉を曲げてみせた。
「……先生は、」

「ぼくのこと好きですか?」

好きだよ、と答えたのだと思う。確か。そこに僅かも嘘はないのだ。だから私はこの時のきり丸の顔を、もっとちゃんと見ておくべきだったのだ。

今日は学園の雑用で遅くなると告げると、子どもは心底からがっかりした顔を見せた。休みの前日はいつもよりちょっと豪勢な食事をすることになっている。楽しみにしていた期待が外れたのだろうと思い、土井は「私のことは気にせず、夕餉には魚を焼きなさい」と言ってやった。喜ぶとばかり思っていたのに、きり丸はくちびるを尖らせ、みるみるうちに不機嫌になった。
「きり丸?」
「そういうことじゃないんです」
子どもはぷいとそっぽを向いたまま、さっさと残りの朝餉を平らげると立ち上がって片付けを始めてしまった。むむ?と訝しみながら身支度を整えて「火の用心をしっかりな。それとアルバイトは夕方までに済ませるように」となんとなく保護者らしいことを言ってみせたが、邪魔だと言わんばかりにぐいぐい背中を押されて「行ってらっしゃい」の素っ気ない声と同時に鼻先でぴしゃんと扉が閉まった。締め出された形になった土井は「はて」と首を傾げた。何か失敗したかな。なんと言ってもあの年頃は難しいから……。
しかしすぐに頭を切り替える。今日の忍務はちと厄介だ。日付が変わるまでに帰れれば御の字というところか。常の穏やかな顔つきから一転、土井はすっと不穏な眼差しを落とした。――今夜は新月。暗闇がすべてを覆い隠してくれるだろう。


「お前は人ではない。鬼だ」
最後の一人はそう言い放った。仲間の屍を背に一矢報いようと向かってきた体躯は、次の瞬間には地べたに叩き付けられていた。今際の際にこちらを睨み付けたその目は血で赤く濁っており、恨み骨髄に徹すると言わんばかりの形相であった。すぐに事切れたのを見届けると、頭巾を捲って一人ずつ身元を確かめる。敵対する城の忍に違いないと確信を得ると、痕跡を消してその場を離れた。長居は無用だ。誰しも要らぬ恨みは買いたくないのだ。去り際に、ふとこの男の表の顔は何だったろうかと考えた。農夫か、漁師か。はたまた己と同じ、人に何かを教える立場であったろうか。妻は居るだろうか、子はまだ小さいのだろうか。そんな考えを幾ら巡らせたところで何の意味もないのだとわかっている。今さら臍を噛んでも遅いのだ。土井は静かに目を伏せた。人ではない。そもそも戦場に人など居るものか。此処に居るのはただ、死体とそれに憑く屍鬼だけだ。
「……私もそう思うよ」
そう独り言ちた。

***

女が股座に屈んで奉仕するのをどこか冷めた目で見詰めている。一度吐き出しただけでは殺伐とした気は収まらなかった。慣れた手付きで再び秘所に宛がおうとするのをやんわり差し止めると、女は不服そうに眉を曲げた。
「殿方ひとり満足させられないようじゃあ、店主に顔向けできません」
「いやもう充分。ありがとう」
こびり付いた血を洗い流す為に学園の関係者が運営している遊里に立ち寄ると、事情を知る店の主人は黒装束姿の男を一目見るなり「そのままお帰りになってはいけません」と店の中へ案内した。この店は一般の客をとる裏で、手を汚した忍が殺意と血の匂いを完全に消すため不浄を清める役割も担っている。年に二度か三度という頻度で利用しているが、今日は一段と気が立っていた。余計なことを考え過ぎた所為かもしれなかった。
「でも先生。そんなお顔でお戻りになっては、子どもたちもさぞ怖がりましょうに」
瞬間、こめかみに青筋が浮き出る。一瞬で顔色を変えた男のただならぬ様子に女は怯んで「立場もわきまえず、出過ぎたことを」と畳に両手をついて頭を垂れた。女の頭頂部に硬い視線を向けながら、土井は乱れた着物を直すと無言で部屋を後にした。ここでは学園関係者であることは周知の事実だが、それを口に出すことは禁じられている筈だった。何度か指名したことで気を許したと自惚れたか、と苛立たしさでますます殺気立つのを自覚する。毎回同じ女を指名するのは万が一外部に秘密が漏れた場合、その出処を始末する時に最小限の犠牲で済むからだ。店主は平謝りで「お代は結構です」と包みを差し出してきた。要らないと告げたが強引に袖に捩じ込んできたので、それ以上は何も言わずに受け取った。兎に角、何もかもが癇に障って仕方がなかった。一刻も早く我が家に帰りたい。心が急いてもどかしかった。

***

冷たい夜の空気の中を我が家へ急ぐ道の途中で、土井は何度か足を止め、このまま道端で夜明けを待とうかと考えた。収めきれない禍々しい感情が未だ腹の中を渦巻いている。この状態のままきり丸と顔を合わせることは避けたかった。子の刻も過ぎ、普段であればとうに深い眠りについている頃だろう。どうかそうであってくれと切に願う。と同時に、あの子はきっと起きているだろうという妙に確信めいたものがあった。あれはどういう訳か、おそろしく勘の働く子どもであった。耳に入れたくないことを聞かないふりをし、見せたくないものを見ないふりをする。大人のこうしてやりたいという想いを酌み、こうであって欲しいという期待に応えようと動く。土井が遅くまで戻らない本当の理由も、実のところ察しているのかもしれなかった。あの子と一緒に暮らすようになってから、この手の忍務を受けるのはこれが初めてだった。
――まだ、今はまだ。あの子に見せたくない顔があるのだ。土井は深く息を吸い込み、吐いた。

人々が寝静まり、しんとした黒暗が広がっている。その中に、たった一つだけ小さな灯りがあった。目を凝らさなければ見つからないようなささやかなその光に、土井は「ああ」と声を漏らした。軒先で行灯を手に佇んでいる子どもが居る。眠っていて欲しかった、と何度目かの同じことを思う。あと数時間あれば、いつもの「先生」の顔を作ってみせるのに。まだ心が、あるべき場所に戻っていないのに。気配を消したまま近付くと、突然目の前に現れた人影に子どもは驚いて行灯を取り落とした。ごとり、という音の直後、辺りが暗闇に包まれる。地面に落ちたろうそくを屈んで拾い上げると、土井は無言でそれを差し出した。消えかかった炎の向こうに待ち焦がれた人の顔を見つけて、きり丸の顔は無邪気な喜色に溢れた。
「おかえりなさい!」
ねぎらいの言葉と共に伸ばされた指先が、すんでのところでぴたりと止まる。土井はもはや殺気を帯びた空気を取り繕うことをやめていた。近しい大人の常とは異なる様相に警戒感を覚え、今夜ひと晩だけ自分の傍から離れてくれればそれで良かった。そういう夜もあるのだと、聡い子どもはきっと理解するだろう。喜びで溢れていた子どもの顔が一瞬のうちに青褪めるのを見て、土井は口の端に卑屈な笑みを浮かべた。――そう、今ここに居るのはお前の慕う先生ではないのだ。常のように見ない振りをして、早く寝床にお入り。そうしたら朝にはきっと見慣れたいつもの私に――お前を誰よりも慈しむ「土井先生」に戻っているから。
しかし予想に反して子どもはその場から立ち去ろうとしなかった。青白かったその頬はたちまち真っ赤に色を成し、激しく焼けつくような眼差しでこちらを睨み付けているのだった。
「……白粉の匂いがする」
押し殺せない怒気を含んだ声が呟いた。
「嘘つき――うそつき――ぼくを好きだと言ったくせに」
裏切りを詰るように、子どもは重い恨みの言葉を口にした。脂っこい女のような暗い情念に、土井は一瞬虚をつかれた。この子はこんなふうに人をなじるのか、といっそ感心さえ覚えた。が、同時に「面倒くさいな」という感情が頭をよぎる。先だってのあの告白劇から今日まで、特に二人の関係性が変わった訳ではない。ただ、子どもがこちらを見詰める瞳に、それまでとは明らかに違う色が浮かんでいた。気付いていながら見ない振りをしてきたのだ。今になってそのツケを払わせるつもりか。それにしても女の匂いを嗅ぎ分けるとは恐れ入る。忌々しさと愛おしさが捩じれて心臓に絡み付いている。こんな幼い子どもの他愛ない嫉妬心すらも、今はただ煩わしいだけだった。
「湯を沸かしてくれ」
全てを無視してそれだけ言い捨てると、土井は子どもの脇をすり抜けた。
――血の匂いは落とした。あとは身体にこびり付いた余計な物を洗い流せば、いつもの日常に戻れるのだ。だから、
「待って先生、」

(だから私に触れるな)

着物の裾を掴んだ指を振り払おうとして、しかしそれは出来なかった。親鳥に庇護される雛のように、盲目に慕う相手に明確に拒絶された子どもがどんな顔をするか、よく知っていたからだ。だから代わりに腕を引き寄せた。己の鳩尾のあたりに納まる幼い体が息を詰めるほどきつく抱き締めたのは、ただ親愛の情からではなかった。
「お前が真に私を好いているなら」
ああ、と今さらながらに思い知る。所詮こういう人間なのだ。私は――とっくに自覚していたことだけれど。

「伽の相手をしなさい」

ひゅっと息を呑む音が聞こえた。その顔から表情が消える瞬間を見たくなくて土井は目を逸らした。いつかのように、また。


***


湯を張った桶に映る顔はゆらゆらと歪んでいる。こんなものか、と思う。築き上げた信頼が呆気なく崩壊する時というのは。頑なだった子どもの顔が、少しずつ緩むようになったのはつい最近のことだ。衣食住が足りて、ようやく子どもらしい悪戯な一面を見せることも出てきた。大人を頼ることを覚えた。同じ家で暮らすようになってからは、時にめずらしく甘えてくるようなこともあった。
『先生が好きです』
あれは完全に心を許された証だ。親愛と恋慕を混ぜこぜにしてしまうくらい、自分を好いてくれたのだ。心の柔い部分をみずから明け渡してくれたのだ。その感情が例えまがい物であろうとも、もっと喜ぶべきだった。お前にそんなふうに想って貰えて嬉しいと、心から告げてやるべきだった。こんな最悪な形で裏切ってしまう前に。
頭から湯を被る。髪先からぽたぽたとぬるい雫が落ちた。格子窓から月の光は差さず、見えるのはただ闇ばかりだ。行灯が揺れる。心は未だ晴れない。


***


子どもは布団の上に静かに正座して待っていた。俯いたまま表情の見えない顔に、己の所業を棚に上げて「律儀なことだ」と思わず呆れる。ことさら時間をかけて髪を洗ったのは、どこへなりとも逃げ出して欲しかったからだ。そう出来ない立場に己が置いているのだとわかっていて尚、そんなことを思わずにいられない。
「きり丸」
びくりと肩が揺れる。これから起こることを理解してかしないでか、ただ怯えているように見えた。このまま薄い肩を無理やり押し倒して、死ぬほど怖がらせてやろうかという良くない考えが脳裏を掠める。その馬鹿馬鹿しさについ笑いがこみ上げた。熱い湯を浴びた所為か、幾らか頭が冷静に働くようになっていた。
「もう遅いからさっさと寝なさい、明日も早いんだろ」
反射的に顔を上げると、きり丸は信じられないものを見るような目で男を凝視した。この人はいったい何を言っているのだろう?
視線をよそに、土井はさっさと布団に横になった。ごろんと背中を向けて、衝動をやり過ごすため深く息を吐く。じりじりと焦げ付くような、どろどろと粘着質な、危険をはらんだ不穏な感情にどうにか蓋をする。朝までこのまま、全てのものから意識を逸らしていれば良い。それで凶暴な感情は抑えられる。大丈夫、大丈夫だ。どうかこのまま……朝まで……。

「……見くびらないで」

ぐいと力任せに肩を引っ張られて、半端な仰向けになったところで真上から真っ赤な顔が降って来た。殆どぶつかるようにして合わさった唇が微かに震えていることよりも、緊張して噛み締めていたらしく皮が白く捲れてしまっていることの方がよっぽど痛々しかった。
「ぼくの気持ちを見くびらないで。出来ないと思ってるんでしょう、ぼくを子どもだと決めつけているから」
言葉を発しながらきり丸はもう一度、強く唇を押し付けた。大好きな人の唇は見た目より分厚くて思っていたより柔いのだと、触れてみて初めて知った。ただこうするのだということしか知らなかった。これからどうすればいいのかなんて知らない。事実、自分は子どもなのだ。悔しさで目尻に涙が滲んだ。
「ぼくだって出来る――ぼくだって出来ます、」
次の瞬間、ぬるっと入り込んでくるものがあった。きり丸は目を見開く。それは生き物のように口内をうごめき、好き勝手に舐め回してきた。蛇のように舌に巻き付いて強引に唾液を絡めとり、歯のつるつるした表面を擦り、そのまま上顎をぬるりと撫でた。口の端からよだれが零れる。背筋をぞくぞく走る感覚に、堪らずきり丸は声を漏らした。
「んぁ、ッぷ」
そのまま体勢をひっくり返されて、圧し掛かった男にもういちど口を塞がれた。最初から舌が入ってきてやりたい放題に動き始める。唾液を流し込まれて、訳も分からず飲み込んだ。肩を思い切り掴まれて身動き出来ないまま滅茶苦茶に舌を吸われて、上手く息が出来ず酸欠になりそうだった。自分が仕掛けた稚拙な行為をやり返されているのだと思い知る。悔しい。恥ずかしい。息が苦しい。ああ、どうしよう、べろ気持ちいい……。
不意に唇が離された。粘ついた糸が唇同士をつうっと結んで、ぷつりと切れた。
「ッはあ、はっ、はぁっ」
空気を取り込もうと激しく呼吸を繰り返す子どもの、べとべとに濡れた唇をべろりと舐めると、土井は汗ばんで赤く染まった艶めく頬と、涙できらきら輝く瞳を交互に見詰めた。思い迷う気持ちはとうに消えていた。
「……お前、寝た子を起こしたな」
きり丸が顔を上げる。その大きな目が雄弁に語っていた――卑怯もの。今さら自分の失言ごと、無かったことになんか出来ない。

***

いつだったか町外れの寂れた茶屋で、年頃の娘と一緒に働いていたことがある。歳は今年で十五だと言っていたけれど、今になって思えばあれは少しサバを読んでいたのかもしれない。客引きもせずにしょっちゅうサボッているくせに給料を出すのかと店主に文句を言ったら「あの子はあれでいいんだよ」と返ってきて、けったくそが悪いったらなかった。――あいつがサボッた分、おれが二倍働かなくちゃなんないじゃんか。忌々しいったら!
ふと店の中を覗くと、娘が客の男と何か話しているのが見えた。客は指を一本、二本と順番に立てて、三本目で娘が頷くと、立ち上がって娘の腰を抱いた。そのまま二人は連れ立って二階へ上がってしまった。この茶屋の席は一階にしかない筈なのに、と不思議に思ったが、その日は忙しかったのですぐに忘れてしまった。
それから何度か同じようなことがあって、あるとき小一時間ほどして先に降りてきた客が「ここはいい茶屋だな」とやに下げるのに、何と返していいかわからなかった。
ある日、店主が「二階に水を持って行ってくれ」と言うので水差しを持って上がると、古びた襖の向こうから男と女の荒い息遣いが聞こえてきた。もうその時点でうすうす勘付いてはいたのだ。だから単なる好奇心でしかなかった。襖の隙間からそうっと覗き見たのは、四つん這いになった娘と、その白い尻にたるんだ腹を乗せて前後に腰を振る男の姿だった。ああ、こういうことかと思った。あの店主、裏でこんな商売もしてやがったのか。二人の結合部から赤黒い棒がずぽずぽ抜き差しされているのが見えた。ずいぶん昔にも同じような光景を見たことがある。あの時はぼろを着た女の人だった。ここでは銭が貰えるだけマシなのかもしれない。やがて事が済んで、男は覗き見している子どもに気付くと股の間の萎れたモノを仕舞いながらニヤリと笑った。
『……次はあの小僧でも良いかもしれんなあ』
仕事が済んだ帰り際、娘はきり丸を呼び止めて、言い含めるように囁いた。
『あんた、おかしな奴に目を付けられないうちに辞めた方がいいよ』

今にして思えば、子どものくせにどこか妖しい雰囲気を持ったきり丸に、娘は危機感を覚えたのかもしれなかった。そちらの「仕事」に引きずり込まれなくて済んだという意味では、娘は恩人であるのかもしれなかった。

***

白い小さな背中が真っ赤に染まっている。ぴっちり閉じさせた太腿の間を己のグロテスクなものが出入りしている光景を、土井はどこか現実的ではない、狐か何かに化かされているような思いで眺めていた。
言い付けに従って子どもは腹這いになって尻を上げた。脚を閉じさせてもそれはまだまだ細く、どうしても隙間ができた。腰を掴んで割れ目に隆起した一物を押し付けると、その熱さに驚いたのか一瞬かぱりと脚が開いた。勢いで一気に突き込まれた亀頭が鼻先を掠めて、きり丸は「ヒッ」と思わず声を上げた。
「ッうそ、うそっ大っきい、なにこれぇ」
「……いいから黙って脚を閉じろ」
子どもは再び顔を伏せて言われた通りきゅうっと腿を合わせた。高く上げた尻が震えている。強引に腰を押し進めると、弾力のある肌がいきり立った熱塊を押し返してくる。ぎりぎりまで引き抜いて、勢いよく突き込む。何度もそれを繰り返す。噛み締めた歯の間から漏れる獣のような息が、男の興奮具合を物語っていた。
「っふ、ふッ……」
荒い息遣いと、ぱん、ぱん、まるで情交そのものの卑猥な音が狭い部屋中に響く。この分では外にも漏れているかもしれないと自覚しながら、腰の動きを止めることが出来ない。ぐぼ、ぐぽっ、いっそう酷い音がする。先端から滲み出た我慢しきれなかった汁が太腿を擦ってぐちょぐちょに濡らし、汗ばんだ肌に挟まれてずるぅっと滑る。そのたびに男の太いかり首が幼い陰茎を勢いよくぱつん!と突いて、きり丸は訳も分からず無理やり押し付けられる性的な快感に戸惑い、恐れ、悶えながら喘いだ。
「あんっあんっ、いやぁッ」
腰を前後させながら、土井は「これ以上はいけない」と頭の中で何度も自身へ警告した。意志とは裏腹に子どもの下帯を指でずらすと、現れたかたく閉ざされた蕾に指を押し当てる。淡い桜色をした稚い其処をくりくり撫で回してつぷりと爪先を押し込むと、ようやく後ろの悪戯に気付いたきり丸が「っあ!?」と叫んだ。
「い、入れるの?」
「……入るわけがないだろう」
そっけない口調で答えながら、土井はある考えに至って心がざわつくのを感じた。苛立つような、癇が高ぶるような。不快感を誤魔化すように再び激しく腰を前後させると、下腹の辺りから一気に射精感が迫り上がってきた。
「もっとキツく閉じろ、」
言いながら待てず、土井はしろい腿を力任せに内側に寄せて、己の一物を挟むようにぎゅうと押さえ付けた。そうして圧迫したまま無理やり突き込んでは強引に引き出すのを繰り返した。
「あっぁっ、あっ!」
前後に激しく律動する勢いに付いて行けず、もはや下半身に力をこめることも出来ず、きり丸は上体を布団にぺたりと落としてされるがままに尻を揺らした。腰を掴む男の手にひときわ力がこもって、直後にびゅうっと熱い飛沫が掛かる。内股がしとどに濡れた。
「ッく、ふぅ……」
腹の底に溜まっていた膿のようなものが絶頂感と同時に放出されたような気分だった。快楽が爆発した後のお決まりの気怠さを味わいながら、土井は内心で「こんなものか」と拍子抜けた。もう少しくらい罪悪感に苛まれると思っていたので。
「ぁ、はぁっ、はっ……」
布団の上で息を弾ませながら、ぺたりと完全に脱力している子どもの裸体を見下ろす。細くて小さい、痛々しいほど幼い体の一体どこにこんなにも興奮するところがあったのか、と不思議にも思う。生白い太股の隙間が己の体液でぬらぬら光っていた。先刻、その道の玄人に相手をさせた時より出した量が多い気がする。もしかしたら自覚している以上に自分は異常なのかもしれない。保護者として守るべき対象の子どもにこんな仕打ちをしておいて、平気な顔をしている自分は。そして、
「きり丸」
思ったより低い声が出た。ぴくりと肩が動いて、自らの意思で濡れ事に巻き込まれた子どもは、目だけでこちらを見上げてきた。
「お前、こういうことの経験があるのか」
後ろは一度も使われた形跡が無いのは明らかだったが、其処に入れることを知っていたのは何故だ。出し入れするだけが房事ではないとは言え、不埒な輩に悪さでもされたか。知らず詰るようなもの言いになっていた。きり丸は一瞬呆けて、意味を理解するやぶんぶん首を横に振った。
「前にバイト先でお客と女の子がしてるのを見たことがあって」
「……バイト先?」
男のこめかみがピクピクッと痙攣するのを見て、きり丸は慌てて「ふつうのお運びのバイトです!」と言い足した。
「でもそこ、店主が違う仕事もさせてて。その時にオジサンのが、女の子の……だからそうするんだろうなって」
男女の情交の覗き見。ならば男色のいろはを教え込まれた訳ではない。土井は無意識のうちに安堵のため息を吐いていた。
「……先生」
体を起こすと、きり丸は裸のままその場で佇まいを直した。汗で頬と腕に張り付いた髪の毛がどこか扇状的で、今更ながら目のやり場に困る。子はどこか怒ったような顔で男を見据えた。
「ぼくは先生を好きですって、ちゃんと言いました。だから先生になら何をされてもいいんです。先生も好きだと言ってくださった。なのにどうしてぼくじゃない誰かに触ったり、触らせたりするんですか?」
真正面から真剣な顔で問い詰められて、土井はたじろいだ。頭の中で言い訳を考える――いや、あれはそもそもそういう意味合いじゃなかったのだ。私は今さら誰かと懇ろになろうなんて考えは持っていないんだ。純粋に好いてくれるお前を可愛いと思う気持ちに嘘はないが、お前を自分だけのものにしたいだとか、どんな自分も受け入れてほしいだとか、そういう願望はもうとっくに――
「……あれ?」
そこで土井は目を見開いた。
「きり丸お前、本当に、私を好きだったのか……」
憑き物が落ちたような顔で男はつぶやいた。今初めて元の自分を取り戻したような、魂があるべき場所に引き戻されたような心持ちがした。男のなかなか最低な物言いに、きり丸はキッと目を吊り上げた。しかしそれだけだった。落胆するでも、打ちのめされるでもなく、ましてやほんの僅かの傷付いたそぶりも見せなかった。しかし土井はこの子が先ほど自分に対して向けた、激しく燃える嫉妬の焔を目の当たりにしていた。表面上に見えるものだけが全てではないのだ。ことこの子どもに関しては。その表情の奥に、かすかに見え隠れするものがあった。土井にはそれが、幼い胸中にひっそりと飼われた修羅のように思われた。

「先生は、ぼくのこと好きですか?」

いつかと同じことを子どもが尋ねた。その短い言葉に込められたものの果てしない深さと重みを、今頃になってようやく理解した。

「……私は妻帯するつもりはないし」
男の口から出た突拍子もない言葉に、きり丸は一瞬ぽかんと口を開けた。
――この人、こんな時にまた、何を言ってるんだろう……。
「こんな立場だ。そう長く生きているとも思えんし、ずっと先の約束は出来ん。けど、そうだな……」
土井は目を逸らさず、真っ直ぐに子どもを見つめた。変わらず可愛くて大切な愛しい子どもだった。それが最上であると信じていた。それ以上のものは存在しないと思っていた。けれど今は。

「お前、私と添う気はあるか?」

きり丸は今度こそ言葉を失った。

***

ばしん、ばしん、布団を叩く音が響く。叩いているのは子どもであり、この長屋に最近住み始めた新参であり、同じ部屋で若い教師と同居している。二人は親子や兄弟の類ではなく、れっきとした赤の他人である。
長屋に古くから住んでいる女が、男に『器量良しの、気立ての良い、安産型の妙齢の娘』との縁談をまとめるべく、鼻息荒くやって来た。なんのことはない、親戚の娘である。しかしこれ以上の良い話があろうか?あの教師、まあまあ見た目は悪くないし、背丈もあるし、高級取りではないにしろ、こんな男なら浮気の心配もなさそうだし。赤んぼの二、三人でもこさえてしまえば、家族のためにもっと稼ごうって気にもなるかもしれないし……。そんな胸算用をしつつ女がきり丸に声をかけようとしたところで、部屋の奥から件の教師がのそのそ起き出してきた。男は音もなく子どもの背後に立ち、気配に気付いた子どもが振り返った。何事か他愛無い言葉を交わした後、子どもがわずかに顔を傾けた。直後、二人の姿が重なった。ように見えた。女はくるりと踵を返し、早足ですたすたと来た道を戻った。すべてを無かったことにして。

「……見られましたよ」
「いいさ」

口を重ねたまま何でもないようにそう返すと、男は子どもの腕を取り部屋に引っ張り込んだ。外から見えない壁際に背中を押し付けて、もういちど柔らかな唇を吸った。小さな舌を貪るように唾液を絡め取りながら、下半身をぐりっと擦り付ける。子どもは男の背中に縋り付いて蕩けていたが、やがて名残惜しそうに舌を解くと、ちゅぱっと音を立てて唇を離した。そうして心得たように床に膝をつき、男の着物の合わせをかき分けて下帯をずらすと、ぶるんとまろび出たものは既に腹に付くほど上を向いていた。
「ぁ、すっごい……。昨夜もしたのに、元気」
惚れ惚れとした顔つきで眺めると、子どもは濡れた唇で先端にちゅうと口づけて、亀頭をちろちろ舐め回した。かり首を唇に引っ掛けて、窪みを舌で刺激する。びくびく震える太い竿に愛おしげに頬擦りして、限界まで口を開くとぱくりと根元まで咥えこんだ。
「あぁ、」
熱い口内と柔らかい舌で包まれる心地よさに、土井は思わず声を漏らした。教えた通りに指先で扱きながら、上下にゆっくり動かして快感を高めていく。裏筋に舌を這わせて吸い上げられるのが好きだということもよく覚えていた。
「上手だ……」
優しく頭を撫でると、きり丸は上目遣いで男を見た。その目は喜びの色で溢れていた。

『よその女の人にさせたこと、ぼくにもさせてください』
あの夜、遊里通いは勿論、通う頻度や女の名前、その見た目と年齢、体のおうとつ、具合の良さ、更には求めた回数まで聞き出されて、土井は少しの誤魔化しも許されず、這う這うの体であった。毎回同じ女を相手にしていたこと、直前まで奉仕させていたことを白状すると、きり丸は烈火の如く激怒した。怒りは収まらず、まだ芯を残したままの男の下半身に勢いだけでむしゃぶりついてきた。しかし知識がないため男の悦ばせ方などてんでわからず、悔しさとままならなさに泣きじゃくった。土井は己のいきり立ったものを握り締めて泣く子が可愛いやら、どうにも興奮するやらで途方に暮れた。引くに引けないまま屹立はますます膨らんで如何せん治まらず、そのまま子どもの柔い口内で呆気なく果てた。少しも我慢がきかなかったことが情けなく、言い交した今の今であるのでかなり複雑な思いだったが、きり丸はそれで幾らか溜飲を下げたらしかった。

「ん、んっ、むぅ」
じゅぽじゅぽ音を立てながら夢中で愛撫している途中で、やんわり口を離すように促された。根元まで頬張っていたものがずるぅっと抜け出して、唇の上でほそく粘こい糸を引いた。一生懸命育てていたものを取り上げられて少し残念だったが、慣れた仕草で自身の着物を捲り上げて下帯を解き、後ろを向いて壁に手を付いた。男の凶悪なほど膨らんだ亀頭が後ろの濡れそぼった箇所にぴたりと充てがわれる。きり丸は昨夜の激しい情事を思い出し、めくるめく予感に震えながら、恍惚の表情を浮かべてその時を待った。この人が自分だけのものになる瞬間を。
「先生、きて……」

***

気を失った子どもの汗ばんだ頬に口付けをひとつ落として、睫毛の間に光る涙の粒を指先で払う。
昨夜の任務のあと、こびり付いた血の匂いもそのままに家に戻り、がむしゃらにきり丸を求めた。深夜まで眠らずに待っていた子どもは両腕を広げて、真っ黒な男を迎え入れた。明け方まで執拗に求めてひと時も離さず、目覚めてもまだ充たされずに、起き出して陽の光の下に居た子どもをまだ闇の中に居る自分の懐に引きずり込んだ。タガが外れたように何度も求められ、子どもの体が限界を訴えて悲鳴を上げるのはわかりきっていた。けれど、きり丸は頑として役目を譲らなかった。
「先生が今度よその女の人と一度でも通じたら、その時はぼくも行きずりの男の人に肌を許します」
そう宣言された時、土井は逆上した。激情のまま酷く手荒に犯しながら撤回しろと攻め寄った。しかし幾ら凄んでもきり丸は一向に聞き入れず、本当にそうするだろうことを確信して土井はぞっと身の毛がよだつ思いだった。この子をみすみす奪われることなどあってはならない。僅かな可能性すら考えたくもなかった。万一そんなことがあったら自分は相手の男を八つ裂きにするだけでなく、嫉妬に狂ってこの子にも何をするかわからない。愛憎相半ばするとはこのことかとばかりに、愛おしさと同じだけお前を憎悪するだろう。

『ぼく以外はもう二度と、誰も許しませんよ。約束ですからね』

自分はいつかこの子どもに捨てられるのかもしれない、と土井は自嘲するように笑った。笑ったつもりで実際はただ口角が引き攣れただけだった。
――その時はみっともなく縋り付こうか。
お前が手を伸ばして欲しがった相手が、無償の愛を知らず飢えた男が、たった一人の子どもに預けたその心が、どれほどに狭く、複雑に絡まっていて、二度と同じ形には戻れないであろうことを。お前にわかってもらうために、わからせるために、私はどういう方法を取ろうか。
手始めにご近所に、私たちは妹背になるのだと吹聴してみようか。いずれ卒業して一人前になって私のもとを離れても、お前の帰って来る家は此処なのだから。ずっと一緒にいたいと口にしたのはお前なのだから。先にすべてを差し出してきたのはお前の方なのだから。浅はかなことだ。哀れなことだ。

「……私もお前を好きだよ」

土井はじっとりと湿った声でつぶやいた。その顔は保護者でも、教師でもなかった。ただ一匹の虎のようであった。