【今日いく!!!】
肩が揺れた。
「なに影山、どしたん?」
上から覗き込んできた年長のチームメイトに「なんでもないス」と答えて、素早くスマホを裏返してリュックに押し込んだ。
「何だよ秘密にすることねーじゃん。あ、カノジョ?遠距離中の」
カノジョとは違うが、遠距離は合ってる。なので深く考えることはせず、影山は素直に「そうス」と頷いた。
「割りと長い付き合いなんだっけ。たまには会ったりしてんの」
「今日これから会います」
おお!と目を瞬かせて、人のいいチームメイトは「良かったな」と笑った。
「ちょうどオフシーズンだし、楽しんでこいよ。俺もこの週末は家族サービスだわ」
「お子さん幾つでしたっけ」
「四歳。かわいい盛りよ、あ、動画みる?」
「こないだも見せてもらったんでいいス」
まあそんなこと言わないで、ほらこれ幼稚園のお遊戯会、なんとシンデレラ役よ、主役よ!と容赦なく眼前に画面を押し付けられた。園児たちがチマチマ踊る姿が物理的に視界に入ってくる。それを凝視しながら、影山は手持ちの少ない語彙からどうにか誉め言葉を絞り出した。
「……、……、……小さいスね」
「正直でよろしい!」
***
練習後の汗を掻いたシャツとハーフパンツその他もろもろを雑にバッグに詰め込んで、バタンと少々乱暴にロッカーの扉を閉めた。
心が急いている。早く帰りたい。
もう一度スマホを開くと届いていた追いメッセージを見て、影山は口元が緩むのを必死に堪えた。
【カレー作って待ってる!!!】
「、お疲れさまです」
それだけ言うと、影山は小走りで部室を後にした。後に残っていたMBの一人が、意外なものを見た、と感心したように呟いた。
「あいつ、バレー以外にも楽しいことあったんだな……」
付き合いは決して良くないが、上下関係はきっちりしていて、先輩は立てるし、下手くそながらもなんとか敬語を使おうと一生懸命だし、面倒見がいいとは言えないが後輩へのアドバイスは適切だし、何より練習熱心だし、誰より努力家だし、ファンサは塩だが顔が良いからなんとかなってるし、
「いや、いちいちフォローがしんどい」
「まあ実際、頑張ってるよアイツは」
一つ年上のOHが、どこか安心したような口ぶりで言った。
「練習もそうだが食にもかなりストイックだしな。オフの日くらい自分に甘くするべきだよ」
「カノジョと会うなら手料理食えるんじゃないですか?そいや同郷同校出身って言ってたような気が……」
「学生時代からずっと支えてくれてた系か。マネかなんかかな」
「春高出てるんすよね。ええと地方の、どこだっけ」
「仙台じゃなかったか?まあおかげでこの度の公式戦でウチも優勝できた訳だ」
「志は常に高く持てって言うじゃないですか。次は二連覇ですよ!」
「企業スポンサーがついてくれれば運営も安泰、練習に集中できるしな。……まあ何より」
「我がチーム最強セッターのプライベートが充実してるんなら、良かったよ」
***
息せき切って玄関を開けると、部屋の奥からぺたぺたと子どものような足音が聞こえてきた。
「おかえり!」
びょん!と勢いよく飛びついてきたその体を、腕を広げて受け止める。また少し背が伸びている。ちょっと肌が日焼けして浅黒くなった。最近は会うたびに少しずつ違ってきているような気がする。柔らかいオレンジ色の髪の毛は、いつかよりだいぶ短くなったけれど、鼻に掛かってちょっとくすぐったいのはそのままだ。慣れた手つきで頭を撫でてやると、伸び上がった日向が心底うれしそうに歯を見せて笑った。
「お疲れ!オフシーズン入ったからさ、すぐ休み取った!」
「そか」
返事の間に、首筋に鼻を埋めて匂いを嗅ぐ。またお前はすぐマーキングして、と呆れたように笑いながら、日向はくすぐったいのか腕の中で身をよじった。
「メシ出来てるけど、すぐ食う?」
「……こっち先」
「だめ!メシ食ってフロ入って汗くさいの流してから!」
「んじゃ何で選択肢あったんだよ」
「メシかフロかの二択だよ」
「二か月ぶりだってのに……」
「?こないだ公式戦で当たったじゃん、二週間ぶりだよ」
色々面倒くさくなったので、影山はいったん諦めて身を剥がすと「メシ食うわ」とだけ言って短い廊下をずんずん進んだ。その後ろから日向が「美味しくできたんだぜー!」と嬉しそうに付いてきた。
「温たま失敗したから、ゆで卵になった。刻んでサラダに入れといた」
「そこだけ進歩しねーな」
「今日こそは上手くいくと思ったんだよ!」
頬をぷうっと膨らませた顔が、やたら幼く見えて可笑しかった。腰を屈めてもういちど抱き寄せると、日向はまるで唇が引っ付くことが当然みたいに、ひどく素直に目を閉じて受け入れた。
「口もと、マヨネーズ付いてる」
「さっきポテサラ味見した……」
もう一度、今度は舌を入れるキスをして、その際にちょっと片手のひらが腰に下りてふらちな動きをしたが、ペチン、と容赦なく叩かれた。
「助平!カレーが冷めるだろ!」
「……へい」
***
日向が作るカレーは昔から甘口だ。実家ではいつもすりおろしたリンゴとはちみつを入れていたと聞いた時は、思わず「アホか!」と正直に感想を言って喧嘩になった。影山家ではカレーは辛くてなんぼ、なんなら一味とガラムマサラも振りかけてどうぞだったのだ。そんなわけで最初のうち、カレーの日はわざわざ鍋を別にしていた。そのうち、日向の甘いカレーがなんとなく美味しそうに見えた。「ひと口くれ」と強請るとちょっと嬉しそうな顔をするのが可愛いと思った。気が付いたらいつの間にか鍋は一つになって、影山は甘いカレーも悪くないと思うようになった。今では、オフシーズンのたびに日向が振舞う甘いカレーが、影山の一番の好物になっていた。
「なあなあ美味い?おいしい?どっち?」
「選択肢ねーよ」
「豚モモ安かったからさあ、いっぱい買って下味付けて焼いたからぜったい美味いはず!な!」
「不味くはない」
あまのじゃくか!とぷりぷりしながら、日向は自分もカレーを掻き込んだ。言わなくても、ちゃんとわかっているのだ。影山はいつも絶対に、残さずぜんぶ食べてくれるから。
大阪みやげ買ってきたからメシのあとで食おうな、満面の笑みで日向が言った。ちょっと固めのゆで卵を箸で刺して口に入れながら、影山は「あとでっつーのは、本当にだいぶ後になるな、たぶん」と悪いことを考えた。
***
食後すぐソファに押し倒そうとしたら「フロが先!」とまたもや拒否られたので、影山はぶつくさ文句を言いながらも風呂場に向かった。あれは照れ隠しだとわかっている。何年か前、真夏の暑い日、ランニングから帰ったばかりで汗だくの背中に抱き付かれて「今したい、すぐして」と強請られたことがある。もちろん全力で押し倒した。最中に日向は何度も「影山の匂いすき……」と繰り返していた。汗の匂いは、バレー部の思い出と連動している。高校三年間、同じコートで肩を並べて戦った。床をつま先で蹴った時の音、練習中の怒号、大会中のざわめきと一瞬の静寂。あの、騒がしくも懐かしい日々を強烈に思い出すから、日向はそれが好きなのだ。ナントカの犬というやつだ。だから今日みたいに拒絶されると面白くない。本当は好きなくせに、なんだお前。要するに、気分だ。猫かよ。
(いじめてやろうか)
シャワーを浴びながら、そんなことを思った。まあ、しないけど。そういう時期はもう過ぎた。今は、馬鹿になるほど可愛がって、いやになるほど愛してやりたい。そんなふうにしか思えない。大人になったと言うべきか、……それとも。
風呂から上がるとリビングの電気は消えていて、寝室の、一つしかないベッドが丸く膨らんでいた。奴がシャワーを済ませていたことは、玄関先で抱きつかれた時に気付いていた。
「日向」
声をかけると膨らみが動いて、日向がひょっと顔を出した。剥き出しの肩が見えて、あっこいつ何も着てねえな、と理解した瞬間、シーツを引っ剥がして伸し掛かった。
「あっぁっ」
自分の体の下で喘ぐ日向を血走った目で凝視しながら、影山は先月買い換えたばかりの自室のベッドが、さすがプロスポーツ選手御用達の寝具店で買っただけあって「なるほど丈夫だな」とそんな場合ではないのに感心していた。
上下に、左右に、さっきからハチャメチャに動いているにも関わらず、バネがクソ強いから壊れる心配がない。昔いっかいだけ、寮のベッドでやらかしたことがあったな。日向があんまり可愛くて、泣かしてやりたくて揺らし過ぎて、底板が割れてるのにギシギシ軋ませるのを止めてやれなくて、片腕で必死でバランスを取ってヤリ続けて、めちゃくちゃ気持ちいいのに腕が死ぬほどしんどくて、いやあれは大変だった……
「んッん、んっ、ンー」
声殺すな、むしろ出せ、その方が楽だから、と初めに教え込んでからも、最中に日向はどうしても声を出すのを躊躇してしまう。常にはうるさいくらい元気な声が、シーツの上で仰け反って口元を手のひらでぎゅっと覆って、押し殺すように喘いでいるのを聞くと、普段とのあまりのギャップに萌えるやら燃えるやらで、影山はいつも大抵どうしようもなく興奮している。
「、あー気持ち、はぁ、すげぇ……」
「あ、ダメそこ当たって、あっ影山、だめ」
きゅんきゅん蠢く日向の中で、ずるずる擦って、出して、入れて、深いところまで飲み込ませて、ぎりぎりまで引き抜いて、それを繰り返す。ナカを擦るたびに上がる声は、脳みそが痺れるほどエロい。
「ぁダメだって、出ちゃう、すぐ出ちゃうう」
腕に閉じ込めて、押さえ付けて、無理な体勢でさんざん鳴きながら、日向の腰はずっと揺れていた。
「な、日向、気持ちいいか?」
「イヤだ、そんなこと聞くなってぇ」
首を振る日向の、耳たぶから首筋まで真っ赤に染まっている。こんなふうになるまでコイツを蕩けさせているのが他ならぬ自分だと思うと、堪らなかった。
「足、もっと開け」
「ん、……ん」
「手ェここ」
「っん」
首に腕を回させて、ぴったりと隙間なく引っ付いた状態で、ふーっと大きく息を吐いた。呼吸の振動で当たる感じが変わったのか、中がきゅうっと収縮した。
「ぁ――――、んン、動いちゃだめ、」
「……なあ日向」
「、ぁに」
耳もとで囁くと、駄々を捏ねるように頭を左右に振ってむずかった。
……今。今なら。気持ちよさでちょっと馬鹿になった頭なら。あわよくば。
「一緒に、暮らさねぇ?」
途端にぱちりと音を立てて、日向の目が開いた。
「ヤだ」
がくりと項垂れて、影山は日向の胸に頭を埋めた。もう何度目かの、このやり取り。
「なんでだよ!お前、秋から春までシーズン中は会わねえの一点張りで、オフシーズンになったらここ入り浸って、俺は一年の半分ムラムラしてんだっつの!どんだけ禁欲させてんだよ!」
「おまえ拠点こっちだし、おれ大阪じゃん。ブツリテキに無理じゃん」
「新幹線で週末に行き来すりゃいいじゃねえか!」
「いや、馬鹿なの……?」
――んだとこの野郎。人の気も知らねぇで、いや、なんもかんも知ってやがるくせに。
「もう長いこと付き合ってんだから、一緒に住んだっておかしくねぇだろが!」
「週4で新幹線往復って、金かかり過ぎるし。おれだっておんなじだけ禁欲してるし、ン、こうやってオフにいっぱい出来るの嬉しいし、おれ、ッ、このままでいィ、ん」
腰を揺すりながら会話しているせいで、言葉の端々でたまらず日向が喘いだ。
「ぁん影山、ちょっストップ、動かすな」
両手で胸を押し返されて、渋々動きを止めると、日向は「すう、はあっ」と大きく深呼吸した。
「……こないだの公式戦は、負けたけど。でも、次はぜったい勝つ。おまえはずっとおれの一番のライバルで、一番の相棒で、でもやっぱ、世界でいッちばん倒したい、最大最強の敵なの。それはずっと昔から、変わんないんだよ」
初めて出会った中三の大会の時から、ちっとも変わらない、人を惹き付けてやまない色。その目で真っ直ぐに、どこか尊いものを見るように、日向はそう、はっきりと言い切った。
しかし次の瞬間、「チッ」と苦々しい舌打ちが部屋中に響いた。
「一番のライバルで、相棒で、倒したい敵の前に、お前は・俺の・恋人だろーが!!!」
「……あ」
もういいこの話はまた明日だ、と影山が本日もう何度目かの溜め息を吐くと、不意に日向が下からぐっと身体を密着させてきた。
「なん、」
「影山ぁ」
なまめかしく両脚を腰に絡み付かせて、首に腕を回して顔を引き寄せると、チュッと頬にキスして日向が笑った。
「とりあえず、続きしよ。おれだってガマンしてたんだぜ。だから今日は寝ないで、朝までして……」
***
腕枕を日向はやたら要求してきた。硬いし、骨あたるし、何がそんなに楽しいのか知らんが、お前がしたいならしてやんよ、という心意気で毎回、影山は腕を提供している。
「はぁ~、かたい……」
しみじみと日向がつぶやいた。
「お前な」
「いーの!この寝心地の悪さが好きなんだ、おれ」
なあ、と顔を上げた日向と向かい合うようにして、少しだけ目線を下げてやる。昔みたいに首が痛くなる程ではなくなった身長差が、本音を言えばほんの少し淋しくもある。言わないが。
「話、きーてるよ。頑張ってるんだってな、チームの皆とコミュニケイション」
「聞いてるって誰に」
「牛島サンとか」
「……へぇ」
「すげー、『ちゃんとしようとしている』って。チーム二年目で、先輩も、後輩もいて、『ちゃんとできてるかはわからんが、ちゃんとしようとしている』って」
「なんか哀れまれてねえか?」
「おれさ、料理上手くなったろ」
「……おう」
「寮のメシも美味いけど、休みの日は自炊してんだよ。栄養バランスとかも考えている。カレー以外のレパートリーも増えたんだぜ」
「すげぇな」
「だから、明日の朝メシも作ってやるよ」
「おぅ」
「メシ食ったらおまえんとこの体育館、連れてって。久しぶりに一緒に練習しようぜ」
「おぅ」
「そんで、明日の夜も、次の朝も、おれがメシ作ってやるから。一緒に食って、一緒に練習して、一緒に寝ような」
「……セックスが抜けてる」
「助平!」
きゅっと鼻を摘ままれて、なんだよ、と睨み付けると、わずかに目元を赤くした日向が困ったように「だからさ」と首を傾けた。
「どっかで線ひーてないと、ぐずぐずになるだろ。おれ、昔からずっとおまえのこと、すげー好きだからさ。それじゃイヤなんだ」
――おまえのこと、いつか倒すって目標を、今でもちゃんと覚えていたいんだ。
はあ、と影山はもう数えるのも面倒になった溜め息を吐いた。
クッソボゲ日向。人の気も知らねえで。クッソ腹立つ。クッッソうぜぇわ、ちくしょう。
「……わぁーったよ!」
いろいろやっぱり面倒くさくなって最終的に頷いてやると、嬉しそうにすり寄って来た背中を抱き締めた。来月になったら、コイツはあっさりこの部屋を出て行くのだ。背中を向けて。笑って「またな」と言い残して。大阪と東京、新幹線で二時間半。たいした距離じゃない、その気になればいつでも会える。たいした距離じゃないその距離が、離れている時間が、たまにどうしようもなくもどかしくなる。
(お前、日向。わかってんのか。これっぽっちもわかってねぇんだろうな。俺が、どんだけ)
きつく抱き締めると、負けじとばかりに背中に指が食い込んできた。なにどうでもいいことで張り合ってんだ馬鹿。痛てえわ。
剝き出しのまるい額にキスしてやったら、「そこじゃない」と伸び上がって唇を突き出してきた。
「やらしーのしてもいいよ。そろそろ第3Rいく?」
「……上等だ」
従順に組み敷かれながら、言われるがままに足を開いて、日向はもう何度目かの高い声を上げた。
影山、おまえさ、わかってる?わかってないんだろうなあ。おまえはさ、おれの一番のライバルで、相棒で、ずっとずっと倒したい敵で、それからついでに、世界でいちばんアイシテいて、世界でいちばんカワイイやつだ。
いつか――ずっと先のいつか。俺もお前も第一線から退く日が来たら、そんな日が来るなんて信じられないけど、そんな日が来るとしたら。その時はまた、あの日の体育館で一緒にバレーがしたい。おまえに上げてもらったボールを、おれはいちばん高いところまで飛んで、思いっきり打って、コートの向こう側に――
(楽しいだろうな)
「なに考えてんだよ」
恨みがましい目付きで睨め付けると、耳元で影山が囁いた。日向はいよいよ悩まし気な声を上げながら、目の前の男に縋り付いた。いつかそんな日が来たら。その日が来たらさ。
引いてた線を飛び越えて、一緒にいよう。ずっと。
「おまえのことばっかだよ」
ずっとさ。
終