楽しいことばっかりだろうなって思ってた。
「なんでお前はそうなんだよ!」
苛々した口調で暦が吐いた、怒りと失望と諦めが混じったみたいな言葉。それを聞くといつも、ものすごく悲しくなる。なんでこんなこと言わせちゃうんだろう。
「でも、ほんとにただの友だちだって思ってたんだ。……ただの」
強調したところがわざとらしく聞こえたみたいだった。暦はさっきよりいらいらした調子で舌打ちした。普段そういうことをしない奴だからなおさら不愉快なのが見て取れて、ああまた失敗した、と思った。
「ただの友達に、あんな好き勝手に触らせんのかよ!」
高3の夏、新設のスケートボードとデザインコースのある専門学校に決めたと暦が言った時、当たり前のように「おれも同じところに行く」と答えた。反射的に口から出た言葉だったけど、紛れもなく本心で、何より人生でいちばん優先することだった。学校は東京にあったし、飛行機の距離なんて考えられる訳もなかった。暦とおなじ進路。それ以外なんにも考えてないのが丸わかりのおれの言葉に、暦は一瞬だけ困ったみたいに眉をひそめて、けれどすぐに破顔した。
「まあな、絶対そう言うだろうなって思ってた」
プロスケーターのデビューサポート体制も整っている学校で、スポンサーノウハウも取得できる。現役のプロスケーターが講師で、在学中からスポンサー候補企業と繋がることも可能で……。
「俺的にはお前は卒業してすぐそっちの世界に行っても通用すると思ってるけど」
「レキと一緒がいい。おれも東京に行く」
食い気味に挟んだおれに、暦はもう笑うだけだった。最初からランガも一緒に行ける進路を考えてたんだって、鼻の下を指で擦りながらちょっと照れくさそうに言ってくれた。おれはめちゃくちゃ嬉しくて、真っ昼間だったけど構わず抱き付いてぶちゅっとキスした。暦の家の、暦の部屋で。最初の頃は「よせバカ!」って慌てて引っ剥がされたりしてたけど、二年も経つと慣れたもので、首の後ろに腕を回して抱き寄せられて、そのままキスの主導権を奪われた。舌を吸われて蕩け始めた頭で、おれは卒業後も暦と居られること、暦もそれを望んでくれていたことが嬉しくて、たまらなく幸せで、人生ってほんとに素晴らしいな、とかそんなことを思いながら床に押し倒された。
学費と家賃はバイトでギリギリなんとかなる、就職サポートも充実してるから将来必ず返済する、だから入学金と上京のための諸費用とアパートの保証人をお願いします、って二人で頭を下げた。喜屋武家の居間で暦の両親とおれの母さんが揃って座っている状況に、そんな場合じゃないのにおれは「なんか結婚の挨拶みたいだな」とか呑気なことを思ったりした(後で聞いたら暦もおんなじことを考えてたらしかった)。二年制ということもあってか、割とすんなり上京の許しが出て、おれたちは当初の目論見通りルームシェアをする運びになった。
「ランガひとりだと不安しかないけど、暦くんが一緒なら心強いわ」
笑ってそう言った母さんの目が、瞬きの合間にさみしそうに伏せられたのに気付いて、おれはほんの少しの罪悪感と、せつない胸の痛みを覚えた。
……一人にしてごめん、母さん。
「長期のお休みには、ふたり一緒に帰ってきてね」
都会の古い学生アパート、狭いけれど陽当たりだけは抜群の部屋で、二人きりで始めた生活はどこかままごとみたいだった。週4日の授業の合間と、土日はめいっぱいバイトを入れた。バイト先の大衆居酒屋は最寄り駅の目の前で二食まかない付き、あとはその日残った食材がもらえることが魅力だった。授業はスケート実践だけじゃなくてカメラワークや映像クリエイション、英会話のカリキュラムなんかもあって、苦手分野も含めて新しい知識を得るのはすごく新鮮で、純粋に楽しかった。まいにち目が回るくらい忙しかったけど、隙間時間を見つけておれたちは殆ど毎日セックスをした。授業もバイトもない水曜日は二人とも一日じゅう裸で、朝から晩までヤりまくった。ヤッてる途中で腹が減って、ベッドの上でパンを齧りながら挿れてることもあった。喉が渇いてペットボトルをあおった暦が口移しで飲ませてくれたぬるい水が、そのまま唇の端から零れてもちっとも気にしなかった。飲んで食べてヤッて、疲れたら寝る、そんな爛れた怠惰な時間を過ごした。アウトレットで買ったぎしぎし音が鳴る二人掛けのソファの上で、せまいキッチンのシンクに手を突いて、剥き出しのフローリングの床で、おれはどこでだって脚を開いた。誰にも邪魔されない二人だけの部屋で、がくがく揺れる視界の中で、耳もとで聞こえる暦の荒い息づかいに死ぬほど興奮して、防音なんてあるはずもない薄い壁を気にしながら、どうしたって漏れる声をいつも必死で抑えていた。こんなに簡単にセックスできる環境じゃそのうち飽きられるんじゃないかって心配したけど、暦はいつだって言葉と体で愛してるって伝えてくれたし、おれは毎日、まいにち、一秒ごとにますます暦を好きになるばっかりだった。
学部は同じでも授業は別々になることも多くて、お互いに別の友人関係が出来るようになった。暦は積極的に交流の機会を持って、おれが隣にいない時もいつも誰かと一緒だった。おれはあいかわらず暦以外にあんまり興味がなかったけど「いずれプロになるなら今から付き合いは大事にしろ」っていう暦の言葉に従って、何人かの友人を作った。そのうちの一人がバイト先の居酒屋に連れてきた「お世話になってるOBの先輩」という人が、火種になった。
「ニュージャージーの出身なんだ」
スケーター活動の傍ら英語講師も務めているという男は、紹介者の後輩そっちのけでランガの隣に陣取って、勢いよくビールをあおった。しらふでも酒が入ってもあまり変わらないらしく常に上機嫌で、彫りの深い顔立ちと筋肉質なところが少しジョーに似てるな、と思った。飲み会の場所がバイト先なのはありがたい。割引が効くし、ノンアルコールカクテルも充実してるし。同級生の中には内緒で飲んでる奴もいるけど、ここなら店長の目が厳しいから間違いも起きない。
店イチ押しの砂肝の唐揚げを口に詰め込みながら、ランガはいつか両親と旅行したニュージャージーの街を記憶から呼び起こした。
「昔フットボールの試合を観に行きました。ダイナーで食べたポークロールが美味しかったな」
「あそこは行ったかな、RUTT’S HUT。ホットドッグが有名で……あれ、飲まないの。カナダじゃ19から飲酒できるだろ?」
「ここは日本ですから」
見た目に似合わず真面目だな、と男は歯を見せて笑った。
「マジメなんすよ馳河!この身長にこのルックスでしょ?フツーもっと遊びまくりますよね」
「沖縄なんてこっちよか奔放なイメージなのに、こいつ合コン誘っても来ねーし」
横目でじろりと睨み付けると、同級生二人は「ヤベ」と肩をすくめた。
「恋人いないの?意外だな」
「、いやそれは……」
思わず言い淀んだところで、座席を仕切るロールスクリーンが上がった。
「鶏つくねと冷やしトマトお待たせしました」
自前の黒いTシャツに、従業員用の和柄前掛けを着けた暦が料理を運んできた。皿をテーブルに置いて、空いた器を片手で回収しながら、新しいグラスをランガに手渡した。
「お前はこれな」
「ん、ありがとレキ」
モヒートからラム酒を抜いたバージンモヒートは、ミントの香りが清々しくて、最近のランガのお気に入りだった。男はちらりと暦を見て、「知り合い?」と尋ねた。
「同じ専門の喜屋武暦です。スケートボードとデザイン専攻です」
よろしくお願いします、と丁寧に頭を下げて、暦は空いたグラスに手を伸ばした。
「喜屋武と馳河って、一緒に上京してきたんだよな」
「そうそう、確かルームシェアしてんだろ?あとここのバイトも」
うん、と笑って頷いたランガと、黙々と仕事をこなす暦を交互に見ると、男は「このジョッキも下げてくれるかな」と声をかけた。
「はい。お飲み物のお代わりは」
顔を上げた暦の目の前で、男がランガの肩をぐいと抱き寄せた。
「そんなに仲いいんだ。……羨ましいな」
ガシャン、と手の中のグラスがぶつかって音を立てた。
玄関のドアを開けて出迎えた暦は、無言でおれを引き寄せると唇にキスした。同棲もといルームシェア初日、「あいさつのキスはぜったい毎日したい」ってお願いしたのを、今日までずっと叶えてくれている。行ってらっしゃいのキスは毎朝バタバタしてるからだいたい軽いけど、お帰りのキスには大事な意味があった。翌朝提出の課題があったり、先に晩メシにしたい時は軽く。すぐにエッチしたいときは舌を入れる。今夜は最初から舌がぬるっと入ってきて、おれは期待で腰がじんと疼くのを感じた。唇が離れると、暦は持っていたコンビニの袋を下ろして後ろ向きにパーカーを脱ぐと「ずいぶん早かったんだな」とつぶやいた。
「うん、二次会のカラオケ途中で抜けてきた。レキが上がる時間だったから一緒に帰ろうと思って店に寄ったんだけど、行き違いだったね。買うものあったんならメッセくれたらよかったのに」
なに買ったの、床に置かれた袋を覗くと、おにぎりとサンドイッチ、水とスポーツドリンク、あとはinゼリーとシリアルバーが大量に入っていた。思わず「あ、」と掠れた声が出た。――明日、水曜日だ。
「風呂入るか?」
向こうを向いたまま、暦がTシャツを脱いだ。剥き出しになった背中に薄っすら残る爪痕を見て、おれはごくりと生々しい音を立てて唾を飲んだ。それから、ゆっくり首を振った。
「、いい。……どうせ汗、いっぱいかくから」
今夜の暦はちょっと度を越してしつこくて、おれの中に3回出したあと、抜いたばかりでまだ芯が硬いペニスを「舐めて」っておれの眼前に突き付けてきた。暦が自分からフェラを強請るのはすごくめずらしくて、おれは喜んで咥えると夢中で愛撫した。筋の浮き出た竿をやさしく撫でて頬張って、エラを唇で挟んでかるく引っ張ってから、亀頭を舌先でくりくり舐めまわした。そのうち先端からしょっぱい汁がじんわり滲んできて、おれはぱんぱんに膨らんだ暦のペニスが喉の奥に熱い精液を流し込む瞬間を、うっとりしながら待ってた。なのにいきなり口から引き抜かれて、予告もなしに正面から挿入された。続けて何度も出されたせいでもうナカはいっぱいで、抜き差しするたびにブチュ、ブチャッとひどい音がした。
「あ、ぁ!レキだめ、ナカはもうだめ!漏れちゃう、も……」
ぐぽ、と無理やり奥に押し込まれた精液が、カリの部分がずるぅっと出て行くときにプシャ、と外に掻き出される。ほとんど排泄に近い感覚に、おれは羞恥で涙目になった。
「は、恥ずかしいよ、レキ」
「……、そうか?」
再度おれの上で本格的に動き始めた暦が、汗だくになりながら息を切らして腰を振る姿がいとしくて、おれはもう恥ずかしいのもどうでもよくなって、ただ暦の首に腕を回してしがみ付いた。
おれも暦も体力はあるから、一晩中だってセックスできる。いつだったか一日で最高13回したことがあって、さすがに次の日は腰が抜けてたし、ナカが擦れてヒリヒリしてそりゃあ大変だった。でもそれだって、合間に休憩がてら横になって話したり、キスとペッティングだけの時間もあった。もちろん暦は毎回ぜったいゴムを付けてくれてたから、長時間の挿入もちっとも辛くなくて、ずっと気持ちいいのが持続してた。「抜かないで、ずっとナカにいて」ってオネダリしたら、暦は顔を真っ赤にして、何度も復活してたっけ。
だから今日みたいに最初っから生で、続けて何度も中に出されるセックスは経験がない。おれは暦を大好きだから、暦になら何をされてもいいって本気で思ってるけど、この分だと明日はお腹がゆるくなるなと思うと、ちょっとだけ憂鬱だった。やっぱりやさしくて愛の詰まったセックスがしたい。暦にたくさん愛してもらって、暦の愛情を体じゅうで感じられるいつものやり方がいい。暦もそう思ってくれてるはずなのに。
「あっ!?」
左肩に焼け付くような痛みが走った。衝撃に思わず大きな声が出て、視線をやると、肩口にくっきり歯形が浮かんで薄っすら血が滲んでいた。キスマークだって遠慮がちに付ける暦が、おれの体に故意に傷を付けたのはこれが初めてだった。まだ硬いペニスが駄目押しでぐりっと中を抉るのと同時に、暦は寸分たがわず同じ場所にもう一度きつく噛み付いた。ぷつりと皮膚が裂ける感触、その痛みにすら興奮して、おれはビュル、と先端から弱々しく薄いのを吐き出した。自分が何回イったのかなんて、もう数える気もなかった。少し遅れて内側に叩きつけられた熱い飛沫を、少しでも長く留めておきたくて腹に力を入れたけど、駄目だった。
――ああ、暦の精液、あんなにたくさん出してもらったのに……。
まるでこの体のどこにも必要ないものみたいに、後ろからだらだら流れていく。それがあんまり空しくて、おれは今だけ女の子になれたらよかったのにな、なんて、馬鹿みたいなことをぼんやり思った。
「馳河、〇〇さんが今日の飲みお前も誘えって」
講義終わりにそう友人からかけられた言葉に、ランガは少し考えてから首を横に振った。
「ごめん、今日はちょっと都合わるくて」
「え、そーなん?」
友人は軽く眉をひそめると、小声で「でもさ」と付け足した。
「〇〇さんお前のことオキニだから、なるべく優先して都合付けた方がいいぜ。ほら、いずれどっかのスポンサーとも引き合わせてくれると思うし。今から業界にコネ作っといて損はないだろ」
件のOBはあれ以来しょっちゅうバイト先を訪れるようになり、なんやかんや注文や接客にランガを指名するので、バイト仲間には「ホストじゃねーんだから」と苦笑されていた。アメリカ気質というか、かなり尊大で自尊心が強く、肩や腰を抱かれたり背中を叩かれたりとスキンシップも過剰なせいで、どちらかというと穏やかな気質の人間が多いカナダ育ちのランガにとっては、毎回ちょっと辟易する相手というのが本音だった。
「connection……」
二年後、もしかしたらもう少し早く。自分はきっとプロスケーターを目指すことになるのだろう。自発的に強くそう望んだ訳ではないにせよ、こうして学費を稼ぎながら必要な技術と知識を身に着けているのも、近い将来その道に進むためだ。スケートに出逢えたことを幸運だと思っているし、いつだってボードに乗るのは純粋に楽しい。
ただ、そうしたビジョンも何もかも、暦が居てこそだった。暦が教えてくれたスケートを、暦が作ってくれたボードで、暦と一緒に滑りたい。暦と無限にスケートがしたい。ランガの望みはいたってシンプルだった。それはずっと変わらない。
……だけど。
そこでランガは「はあ~」と大きな溜め息をついた。誰のお気に入りだとか将来のためのコネ作りとか、今はどうだって良かった。そんなことよりもっと重大で、深刻な悩みがあった。
「レキ、今日はエッチしてくれるかな……」
ほとんど気を失うように意識を手放したあの日の早朝、ベッドから起き上がれないランガの足下で、暦は額を床にこすり付けて「ほんッとーにごめん!!!」と土下座した。
「、だいじょーぶ……」
そう答えたものの何せ腹を下すわ腰はだるいわ、間の悪いことにどうやら飲みの場で風邪を貰ってきていたらしく、軽く発熱したランガはその日とうとう部屋から一歩も出られなかった。
「のど渇いてねえ?」
「腹へったろ。なんか食いたいもんあるか?」
「汗かいてきたな、体拭いてやるよ。あとでシーツも替えるから」
動けないランガに代わって、ボトルの水を少しずつ傾けて飲ませたり、ゼリーをひとくちずつスプーンで口元に運んでやったり、無理な行為への罪滅ぼしの意識もあってか、暦は一日じゅう甲斐甲斐しく世話を焼いた。買い込んだ大量の水やゼリーは瞬く間に消費され、病床であっても食欲は旺盛なランガは、暦お手製のたまごの入ったおじやを子どものように喜んだ。昨夜のことが嘘だったかのようにいつも通りの、やさしい暦が変わらず傍に居てくれることが、この上なくランガを安堵させた。
もともと基礎体力が並外れていることもあり、翌朝には体調も回復して、朝食のパンをトースターにセットしていた暦の背中に「おはようレキ!」と勢いよく抱き付いた。
「!おはよ、……もう大丈夫なのか?」
「うん、もうすっかり。お腹すいたな~」
ホッと息を吐いて頷いた暦は、けれどどこか浮かない表情をしていた。
木曜日はそれぞれ1限と2限目からで授業を組んでいるため、朝は別々に登校している。先に出る暦が玄関でスニーカーの踵を叩いていると、キッチンから後片付けを終えたランガがぱたぱた駆けて来た。ちょいちょい、と手招きした暦に嬉しそうに顔を寄せてきたので、玄関先でそのまま軽いキスをした。
「行ってらっしゃいレキ、また後でね」
「オゥ、またな」
—―それから二週間以上が経った今日まで、暦がランガに触れてくることはなかった。
あいさつのキスは毎日、ある。朝は軽く触れるだけ、これはいつも通り。けれど夜は別だ。キスの途中でランガが舌を絡めようとすると、やんわりかわされる。最初の方こそ「今日は気分じゃないのかな」とがっかりしながらも渋々納得していたが、さすがに三日も続くと何かがおかしい、と思い始めた。
夕食後、ソファに座ってテレビを眺めていた暦の膝の上におもむろに跨ると、ランガは自分からキスを仕掛けた。もちろんそういうお誘いの意味を込めて。いつもならすぐに押し倒されて、日付が変わるまでたっぷり愛し合うのが常だった。なのにその夜の暦はちょっと困ったように笑って「今日はやめとこうぜ」とやさしく、けれど有無を言わせぬ態度でランガを押し退けた。
「レキ、どうしたの?どこか具合でも悪い?」
「いや別に。何ともねえよ」
ならどうして、と追及できない何か頑ななものが暦にはあって、ランガはもう引き下がるしかなかった。
ふたりの部屋は家賃を抑えた2DKで、ベッドはそれぞれ別にあるけれど、夜は一緒に眠るのが当たり前だったから、いつもダイニングのソファの上か、どちらかのベッドに潜り込んでいた。けれどこの夜から二人は別々に眠るようになった。理由もわからず悶々としたままのひとり寝の夜はさみしくて、ランガは明け方まで一睡もできなかった。
次の日も、その次の日も、暦は変わらずやさしくて、毎日欠かさずキスをしてくれる。なのに絶対にランガの体には触れようとしなかった。
(飽きちゃったのかな)
そうだとしたら、あんまりしつこく求めたら嫌われてしまうかもしれない。それだけは避けたかった。暦に嫌われてしまったら、もし避けられて、話すのも、もう一緒にスケートすることも出来なくなってしまったら、
……あの時のように。
高2の夏の終わり。あまり思い出したくない記憶だ。あの時も、暦がどうして離れていってしまったのかわからないまま、ただ暦を失ってしまうのが怖くて、なんとか変わらず傍に居ようとして、決定的に拒絶されて、……それで。
そこまで思い出すと、ランガは眉間にきつく皺を寄せた。
あの時、レキはどうして戻ってきてくれたんだっけ。おれは、どうしてレキを取り戻せたんだっけ……。
「いやだな……」
今朝もまた、泣きたい気持ちで行ってらっしゃいのキスをした。少し乾いた唇が離れると、まるで心まで離れたような錯覚に陥った。嫌いな相手にキスできるほど器用な奴じゃないから、まだ大丈夫だ。まだ嫌われた訳じゃない。レキはまだおれを好きでいてくれる。……本当に?
(おれのこと抱けもしないのに?)
暦はここ数日バイトを休んでいた。課題が忙しいという理由だったが、それは嘘だとわかっている。それまで常にニコイチで隣に居た姿がないことに、例のOBが「あの赤毛の子見ないね。ケンカでもした?」と揶揄ってきたが、満更外れてもいないので否定も出来ず、無理やり笑って誤魔化すしかなかった。男は「ふぅん」と意味ありげに呟くと、殊更しつこくランガに絡んできた。腰に回された手がふと臀部を撫でるような動きをした時、思わず「ぁ、」と小さく声が出た。すみません、とすぐにその場を離れると、バックヤードで大きな溜め息を吐いた。
……暦とはぜんぜん違う触り方。当たり前だ。なのに、性的な接触に飢えているせいか思わず反応してしまった。馬鹿みたいだな、と思った。暦に触られると嬉しい。暦のあったかい手のひらに包み込まれると、それだけで体が、心が幸せを感じる。ただそこに触れているだけの冷ややかな手と、大好きな手があまりに違い過ぎて比べてしまう。否応なく暦を思い出してしまう。
—―レキじゃなきゃ意味がない。それ以外はみんな、どうでもいい。
バイト終わりに「今日のまかない二人分もらえたよ」とメッセージを送ると、アパートに着く頃に返信があった。
『悪ぃ、今日はガッコで課題やるから遅くなる』
ランガはスマホの画面を食い入るように見つめた。――グラフィックデザインと映像の課題なら、設備の整った学校のPC室でしか触れないものもあるから、内容によってはそんな日もあるだろう。だからこれはギリギリ嘘じゃない。そう結論付けて、もう何度目かわからない溜め息を吐いた。
嘘か、うそじゃないか、まだ好きか、……もう好きじゃないのか。
もらったまかないを食べて、シャワーを浴びて、スマホの時計を見ると23時を過ぎていた。ソファ脇に置かれたチェストの引き出しを開けると、封を切っていないままのゴムの箱が入っていた。
暦はもうおれに興味がないんだろうか。もともと女の子が好きで、惚れっぽい奴だから、こっちで誰かかわいい子に出会ったのかもしれない。だってもう二週間以上もしてなくて、溜まってないわけがない。暦は最中にいつもおれのことすごくスケベだって揶揄うけど、あいつだって相当スケベだ。それもかなりムッツリだ。高校時代、おれの家も暦の家もなかなか二人きりになれなくて、しばらくお預けくらってやっとエッチできるっていう日、部屋に入るなり襲い掛かってきた時の暦のあの切羽詰まった顔。やらしくて、めちゃくちゃオトコで、我慢なんかぜんぜん出来なくて、おれの中ですぐ出しちゃって、すごく可愛かった。ごめんなランガ、ごめんなって謝ってるくせずっと腰は止まんなくて、結局抜かずにすぐ復活して、そのまま……。
今、もしかして誰かと一緒に居るんだろうか。どこかでエッチしてるんだろうか。どこかって、どこで?誰かって、だれと?
疑心暗鬼でそろそろおかしくなりそうだった。せめてただいまのキスだけは絶対したくて、暦が帰ってくるまで待つつもりで、ランガはソファに腰かけた。頭の中がぐちゃぐちゃで、何も考えたくなくて目を閉じているうちに、眠ってしまったらしかった。
カチャ、パタン、遠くで音がした。聞き慣れた足音が近づいてきて、すぐ傍でぴたりと止まった。
……ああ、暦が帰ってきたんだ。
おかえりレキ、と体を起こそうとして、そこでランガは自分がまだ眠っていることに気が付いた。体はまだ覚醒しておらず、ただ意識下で彼の気配を感じているだけ。暦はちいさく何かをつぶやいて、眠るランガの頭を撫でた。あったかくてやさしい指先。おかえりなさい、大好きだよ、レキ……。
不意に腹の辺りにすぅっと寒さを感じた。パチ、シュル、と何かが外れて擦れる音が聞こえた気がしたけれど、ランガの意識はふたたび遠のいていった。
水音で目を覚ました。室内はいつの間にか照明を落とされて、常夜灯になっていた。むくりと起き上がると、腹の上にブランケットが掛けられているのに気が付いた。
「、レキ?」
シャワーの音の途中で、カタンと風呂椅子が床にぶつかる音がした。狭い浴室だから、ちょっと大きな動きをすると手足がどこかしらに当たるのだ。ランガは微笑みながら立ち上がると、照明のスイッチを点けた。キッチンに移動して、冷蔵庫を開ける。暦の分のまかないがまだそのまま入っていたので、持ち帰り用のプラスチック容器から皿に移し替えてラップをした。中身が終わりかけていたのでついでに新しい箱を取り出して、空箱をゴミ箱に捨てて——そこで違和感を覚えた。
「あれ……?」
キッチンに備え付けられたゴミ箱の中に、某家電量販店の黒い袋が捨てられていた。前に一緒に出掛けた時、モーターの電池を買った小さな袋。さっき帰ってきた時はなかったから、暦が捨てたんだろうか。どうでもいいことの筈なのに、何となく気になった。直感が働いたのかもしれなかった。袋を拾い上げると、ランガは固く縛られた結び目を解いて中を確認して——これ以上ないくらいに目を見開いた。
キュ、と蛇口を捻るとバスタオルを頭から被って、暦はハァ、と大きくひとつ溜め息を吐いた。鏡に映る自分の顔が赤くなっているのは、風呂上がりの所為だけではなかった。冷たいシャワーを頭から浴びても、罪悪感は消えない。タオルでがしがし頭を掻いて、洗面台に突っ伏すと「はぁ~……」と我ながら情けない声が出た。
「何やってんだ俺……」
上半身は裸のまま、首にタオルを掛けて脱衣所を出ると、飲み物を取りにキッチンに向かった暦はそこでギクリと足を止めた。シンクの前で俯いていたランガが、足音に気付いて顔を上げると、キッとこちらを睨み付けてきた。
「な、なんだよ驚かせんな」
素知らぬ顔で脇を通り過ぎて冷蔵庫の扉に伸ばした手を、横からガシッと掴まれた。
「、何!」
「……どういうつもりだよ」
だから何が、と開きかけた口が、ランガの手の中の黒い袋を見るや——中途半端に固まった。
「ッおま、それ、何で」
「レキなんで?なんでこんなことしてんの?おれが居るのに、なんで一人でこんなことしてるんだよ!?」
怒鳴り声とともに床に投げ付けられた袋から、丸めたティッシュペーパーの固まりが飛び出した。明らかに使用済みの、まだ粘度をもったそれを見て、暦は今度こそ羞恥で顔が真っ赤になるのを感じた。
「ひ、人のゴミ勝手に漁るとか、何考えてんだお前!いくらなんでもプッ、プライバシーってもんが、」
「台所に捨てたのレキだろ!バレて困るんならちゃんとわかんないようにしろよ!すぐバレるようなことするなよ詰めが甘いんだよ!おれで起たないからって他所で処理してるくせに、家でくらいガマンしろよこのスケベ!性欲魔人!最低男!あとえーとレキのバカ!どスケベ!」
普段あまり、というか全く声を荒げないランガのめずらしく激情的な姿に、その怒涛の勢いに圧倒されて、暦は吃驚して半ば放心していた。す、スケベって二回言われた……しかも「ど」が付いた……。いやいやそんなことは今どうでも良くて!
「っランガ、お前なんか勘違いしてる。よそで処理って何の話だよ、してねぇよ」
一気にまくし立てたランガの頬は上気して、常は真っ白い肌がばら色に染まっている。はぁはぁ肩で息をしながら、彼は吊り上げていた眉を下げて「……ぇ?」と拍子抜けしたような声を出した。
「だってそれ……masturbationしたやつだろ。レキの匂いしたし」
「いや嗅ぐなよ!!!」
はぁ~!と盛大に溜め息を吐いて、暦は「一人でしたのは、認めるけど」と歯切れ悪くつぶやいた。
「だったらなんで?おれが居るのに、ひとりでする必要なんてないだろ。いくらだっておれが相手するのに……そうしないってことは、やっぱりレキ、おれじゃもう起たないんだろ?」
「違げーよ!てかこれはお前で抜いたんだよ!!」
奇妙な沈黙が落ちた。
暦は変な汗がだらだら背中を伝うのを感じた。
(俺は、何を、ばか正直に白状してんだ……?しかも本人に)
ランガはというと、呆けた顔にクエスチョンマークをいくつも張り付けていた。おれで抜いた?なんで?だってそれじゃあまるで、まだ付き合う前みたいな……。
「……ちゃんと話すから」
腹をくくったような暦の言葉に、訳が分からないままランガは頷いた。
並んでソファに腰かけると、お互いになんとなく緊張しているのが伝わってきた。二週間以上も軽いキスの他まともに触れ合ってないし、会話も必要最低限だったのだ。横目でちらりと隣を見ると、同じようにこちらを見ていたランガと目が合った。それでとうとう観念したように、暦が口を開いた。
「あ~~……だから、ここんとこ暫くしてねーから、スゲェ溜まってて。そんで、帰ってきたらお前、寝てるし。腹みえてて、ちょっとだけ裾めくったら、……白くて。寝顔かわいいし、なんかもう堪んなくて、ガマンできなくなっちまって……気付いたら2発」
「2発!?」
ランガは思わず身を乗り出して、いや今はそこに反応してる場合じゃない、と思い直して、……やっぱりおかしくないか!?と再び暦に向き直った。
「だからそんな溜まってたんなら、ガマンしないで起こしてくれたら良かったのに!」
「出来ねえよ!お前のこと、……また傷付けちまいそうで」
ランガはきょとんと目をまるくした。暦は眉をへの字に曲げて、「……ここ」ランガの左肩をとんとん、と指で叩いて示した。
「血ィ出たろ、あん時」
あっ、と言葉を飲み込んだ。
あの日、暦がまるで別人みたいだったあの夜。肩に噛み付いて傷付けられた、やめてって言ったのに何度も中に出された、乱暴で一方的なあの行為。……けれど、暦がそんなことを望んでする筈がないとランガにはちゃんとわかっていた。わかっていたから、受け入れたのだ。
「あの日、バイト先に連れてきてたOBさ。アイツ……お前にべたべた触って、俺の前で馴れ馴れしく肩とか抱いて、たぶん挑発してるんだろうなってわかった。俺らが仲いいとか、一緒に暮らしてるとか聞いて、面白くなかったんだと思う。アイツお前のこと、かなり気に入ってるみたいだったから」
(〇〇さん、お前のことオキニだからさ)
「そんなんじゃ……、確かにスポンサーと繋がれるからって、食事に誘われたりはしたけど」
そこで暦の片眉がぴくりと吊り上がった。
「……食事?二人で?」
「でも断ったんだ。レキも人間関係は大事にしろって言ってたけど……おれにはやっぱりそういうの、向いてないから」
『おれ、まだちゃんと進路を決めてる訳じゃないんです。色々迷って、納得してその道に進みたい。だから折角ですけど、今からそんな紹介は』
『それでプロになったら、自分の実力だけでスポンサーを勝ち取れるって思ってるんだ。けっこう自信家だね』
『すみません』
『いや、ますます気に入ったな。わかった、紹介とかそういうのはひとまず置いといて……じゃあ言い方を変えよう。僕と、個人的な友達になってくれないかな』
『ともだち……』
『学校の中だけが交友範囲じゃないだろ?どんな進路を選ぶにせよ、先に社会に出てる僕と付き合うメリットはそれなりにあると思うよ』
『あなたにも?』
『プロになる実力のある友人は、今のところ僕にとってメリットしかないよ。あと強いて言えば、そうだな。君の容姿は大いに目の保養になるかな』
暦は膝の上に載せた拳をぎりっと握り込んだ。何~にが目の保養だあンのスケベ野郎!下心が見え見えなんだっつーの!大体ランガもランガだ、ちょっと目ぇ離すとすぐこれだ。俺の居ないとこで、しっかりコナかけられてんじゃねーか!
「だからお前は……!」
思わず声を荒げそうになって、暦はパッと口を覆った。
(またあんな、みっともない姿を晒すのはご免だ)
「、ああもう正直に言っちまうけど!……お前に、俺以外の奴が勝手に触ったのがすげぇ嫌で、アイツが触ったとこ、俺で上書きしてやりたくなったんだ。ランガは俺のだ、触んなって。それでついカッとなってあんなこと。つーかただの嫉妬で、余裕なくしてカッコ悪ィ……」
痛かったよな、とやさしく肩に触れられて、ランガはぶんぶん首を横に振った。耳のあたりがたちまち熱を持つのがわかる。思いがけず知れた暦の独占欲に、あふれる嬉しさを隠しきれなかった。
「ちっとも痛くなんかなかった。レキになら何されたって、おれ」
「うん、お前ってそういうヤツだから、つい調子に乗っちまうんだよなあ」
ちょっと強引に行くとすぐほだされるから、よけい心配になる。困ったように笑って、暦はどこか投げやりな口調で言った。
「お前にそんなつもりなくても、向こうは違うだろ。アイツがお前のことホスト扱いしてんのも嫌だった。.あからさまに距離が近いのとか、なのにお前も嫌がらねーし、そういうの見たくなくてバイトもさぼったり……。でも逆にいろんなこと想像しちまって、どのみちずっと苛々してて。授業は頭に入んねーしスケートにも身が入んねーしで、結局ぜんぶ駄目だった。こんな気持ちのままお前のこと抱いたら、懲りずにまた酷いことしちまいそうで。……もうあんなこと、二度としたくないのにな」
ランガは膝の上で開いていた暦の手をぎゅっと握ると、そっと持ち上げて自分の頬に押し当てた。……あったかい手のひら。大好きだ。
「レキはいつもやさしいって、おれ知ってるよ。……よかった、レキ、もうおれに興味なくなったのかと思ってた」
「はぁ!?んな訳ねえだろ、何でそんな考えになるんだよ」
「だってもうずっとキスもちゃんとしてくれなかった」
「……まともにキスしたら、それだけじゃ済まなくなるだろ絶対」
「ね、今日まだおかえりのキスしてない」
暦は苦笑して、握られていた手ごとランガを引き寄せた。口が最初から少し開いているのがえろくて可愛いな、と思いながら、ゆっくり唇を合わせた。
「、ン……」
舌を入れてやると嬉しそうに吸い付いてきたので、そのままねっとり絡めながら——そこで暦はスマホ画面をちらりと見て、あちょっとまずいな、と冷静に考えた。
「らンが、ぷは、ちょっと待て……、言っとくけど今日はエッチ無しな」
「なんで、イヤだする、したい、抱いて、レキ……お願い」
ちゅっちゅっ、と音を立ててキスしながら、時折り舌先で唇をちろちろ舐めるランガのいつもの誘い方に、暦は理性を持って行かれそうになりながらも、自制心を必死で働かせて何とか持ち直した。
……ていうかさっき2回抜いといてよかった、マジで。
「ランガお前、明日1限からだろ。今ヤッたらたぶん、朝まで離してやれねーよ俺。ただでさえ苦手なデッサン応用なんだから、絶対サボっちゃダメだ。な、明日は火曜日だから……帰ったらいっぱいしようぜ」
ランガは尚も唇を離さないまま、「イヤだ」と子どものように駄々を捏ねた。
「レキとエッチしたい。今すぐレキのdick、おれの中に入れて……」
直接的なセリフと熱いため息をダイレクトに耳に流し込まれると同時に、薄いスウェット越しに股間をゆるゆる撫でられて、暦は思わずその場で陥落しかけた。が、奥歯を食いしばって誘惑に耐えた。
「っダメだ。なあランガ、イイ子だからさ。つーか、おまえもずっとしてなくて溜まってんだよ。今日は俺が抜いてやるから……ホラ、口と手どっちがいい?」
「ヤだぁ……!」
ランガは最後まで抵抗していたが、やがて暦の指が直に性器を掴んで上下に扱き始めると、快感に耐え切れず頭を振って悶えた。
……レキのゆび、いつもボードを触ってる指先、すごく器用で、ああ、マメが潰れてごつごつしてるとこ引っ掛かって、気持ちいい……。あ、指のお腹で先っぽ擦られるの好き、きもちい、レキ大好き、もっとして、もっと、あぁ好き……。
「あ、あ、あん、イく、イく、出ちゃう、レキ、出ちゃうよあっぁっ好き、すきぃ」
「……ッ、お前はホントに……」
「!ぁ————」
びゅくびゅく、とすぐに吐き出されたものは濃くて、量が多くて、片手では受け止めきれずにこぼれてしまった。下穿きを膝まで摺り下げられていたランガは久しぶりの全力の射精に脱力して、倒れ込むように暦に体重を預けた。大量に出したものを全てきれいに拭いてやって、濡れて汚れた下着をつま先から脱がせてやるために屈み込んだ時、ランガの後ろが切なげにひくひく収縮しているのが見えた。
(えろい穴、咥え込むモン探してるみてぇ。ああ、俺しか知らないランガの可愛いとこに今すぐ挿れて、ぐちゃぐちゃになるまで犯してやりてー……)
あまりよろしくない衝動が沸き上がるのを抑えて、暦は目を閉じて天井を仰いだ。明日は学校が終わったら22時までバイトだ。今から気が遠くなりそうに長いな、と思った。
袋のままのルーズリーフとボールペンを乱雑にかばんに突っ込むと、ランガは慌しく席を立った。講義終了のチャイムが鳴り終わるのと同時に教室を出ると、他クラスの友人が声をかけてきた。
「あれ馳河、もう帰んの?」
「今からバイト。早めのシフト入らせてもらおうと思って」
時刻は16時半過ぎ、火曜日のシフトより早めに入って、店長に頼んで早上がりさせて貰うつもりだった。
(買い出しとか、いろいろ準備もしたいし)
エレベーターの入り口付近で、他教室に向かう暦と鉢合わせた。友人2人に囲まれていた暦は、ランガに気付くと「よぉ」と軽く手を上げた。
「レキ、今から?」
「おう。課題で作った動画の仕上げやってくる。カメラワークがいまいちワンパターンでさ……てかお前もう店行くの?早くね」
「ちょっと早く上がりたくて。レキは、閉店までだよね」
「、ん……」
そこで暦は少し口ごもった。ランガが何のために早く帰りたいのか、わかっていたからだ。心なしか熱を持ったような頬を誤魔化すように右腕を持ち上げると、握った拳を突き付けて軽めのDAPを交わした。
「じゃあまた後でな。俺も今日は入るから」
「うん、あとでね」
背後で暦の友人たちが「お前らあいかわらず仲いいな」と笑う声が聞こえて、ランガは人知れず口角を上げた。
(仲いいよ)
——行ってらっしゃいのキスに、べろ入ってくるくらいには。
今朝のキスはいつもより長くて、重たくて、なんとなく昨夜の行為の名残りがあった。あからさまに「今夜はセックスするぞ」と予告されているようなものだった。期待と陶酔で、ランガはどう考えても朝には相応しくない濃厚なキスに夢中になった。暦の舌は朝食で食べたチキンスープの味がした。
『今日は抱いてくれるの』
とろんと落ちかけた目で問いかけると、暦はちょっと悪い顔をして、スリ、と背中と腰の境い目を指先でかるく撫でた。上に乗る時いつもきつく掴まれて、激しく揺さぶられる場所だった。ハァ、とランガは熱いため息をついた。
『待ちきれないよ、レキ……』
窓から差し込む柔らかな陽の光が、粘つく唾液を引いた互いの真っ赤な舌を照らしていた。そんな光景を今になって鮮明に思い出して、ランガは耳まで赤くなった顔を両手で覆うと、走って校舎を後にした。
「いらっしゃいま、」
「やあ」
いつもより早い時間に一人でやってきた男に、ランガは怪訝な表情を浮かべた。たしか今日は綺麗なお姉さんの居るラウンジに連れて行ってもらうのだと、友人たちがはしゃいでいたから。
「奥の個室、いいかな。あ君、ハイボールと適当に食事、彼の分も一緒に持ってきて」
そう他のスタッフに声をかけると、男は当然のようにランガの肩を抱いて個室に入った。いつも指定する隅のカウンター席ではないことに、ますます懸念が募った。
「あの今日はおれ、早上がりなので……お食事は結構です」
「そうなの?まあ、ちょっとくらい付き合ってよ」
肩に回した手をそのまま引き寄せて、男はランガを自分の隣に座らせた。
「失礼しますこちらハイボー……ルと、ウーロン茶」
飲み物を運んできたスタッフは、テーブルを前に不自然に密着した二人を見て顔を引き攣らせたが、すぐに何事もなかったように「お食事すぐお持ちします」とそそくさと戻って行った。
「食べたいものある?遠慮しないで、何でもいいよ」
「いえ……あの、今日はどこかのラウンジって聞いてましたけど」
ランガが尋ねると、男は「ああ」と何でもないことのように頷いた。
「他人が居ると落ち着いて話せないからね。アイツらは適当な店に置いてきた。飲み潰れてぼったくられてなきゃいいけど」
え、と聞き返すより早く、男は回していた手を肩から背中へ、ゆっくりと下ろした。
「……この間、ここに触った時さ」
言葉と共に手はさらに下りて、ランガの引き締まった腰から臀部を執拗に撫で回し始めた。——今朝、キスの途中で暦が触れた場所だった。
「っ、!」
びくりと思わず反応したランガを見て、男は不自然に白い歯を剥き出しにしてニッと笑うと、ほとんど耳に唇を付けるようにして囁いた。
「そう、すごく敏感だなって思って。それでわかったんだ……君はさ、こうやってオトコに抱かれて喜ぶタイプの人間なんだろう?」
喋りながらも男の手は止まることなく這い回り、ランガは言いようのない不快感を覚えた。この人、なに言ってるんだろう……。
「誤解しないで、偏見は無いんだ。今のご時世、同性愛者なんて珍しくもないからね。今まではそういうのに興味もなかったけど……でも、君みたいな綺麗な子がどんな顔して男に脚を開くんだろうって、想像するだけで興奮したな。ここにアレを咥え込むのは知ってるけど」
言うなりガシッと尻を鷲掴みにされて、ランガは「……やめてください」と静かに声を出した。ホールスタッフには女の子も居る。出来ればこんなところは見られたくなかった。
「恋人いないっていうのも、恋人じゃなくてセフレっていう意味だったんだね。ホラあの赤毛の子、彼もそうなんだろ?」
「、は?」
——レキがおれの、なんだって?
「違います、レキ……彼は」
「同学年って言っても、実際はひとつ下か。18なんて、まだ子どもみたいなものじゃないか。君が欲求不満なのも合点がいったよ。ああいう子はまだまだ経験が浅いから、入れて出すしか能がないんだ。何もわかっちゃいないんだよ。僕みたいに経験豊富な大人の男の方が、君のことをホントの意味で満足させてあげられると思う」
料理がくるのちょっと遅いな、とランガはまるで見当違いのことを思った。まだピーク時間の前だけど、忙しいんだろうか?さっき言われたことがあんまり衝撃的で、あとはろくに耳に入ってこなかった。セックスフレンド、レキが。おれの?
思わず笑ってしまった。本気で面白かった訳ではないので、実際には片方の口角が引き攣っただけだったが、男はランガにその気があると思ったのか、ますます自信を深めたようだった。思わぬ性感帯への刺激に、暦に抱かれる期待ですっかり出来上がっていたランガの体がつい反応してしまった所為もあった。
「おとといの夜、ガールフレンドの一人としてる時に、これが馳河君ならどんなだろうって想像してみたんだ。女の子の顔を君とすげ替えてさ。そしたらもう興奮してガチガチになっちゃって!カノジョ大喜びでイキっぱなしだし、それで、ああ絶対に君のことも満足させてあげられるなって確信したんだ」
「……顔だけ取り替えても、おれ付いてますよ。わりと立派なのが」
ほとんど上の空で、ランガは呟いた。個室の外が少し騒がしい。男はわずかに言葉に詰まったが、気を取り直して「大丈夫」と笑った。片手を尻に置いたまま、もう片方の手でランガの耳に落ちてきた髪を引っ掛けて、意味ありげに撫で付けた。とたんに不快感が増して、ランガは眉をしかめた。
「こんなに綺麗なんだから、そこだけ見ないようにすれば問題ないよ。バックからガンガン攻めて、いっぱい可愛がってあげたい。白い肌に汗が浮いて、最高の眺めだろうな。僕のは持続力がすごくていつも長時間入れっぱなしだから、初めてだとヨすぎて気をやっちゃうかも。ああそうだ、どうせなら君のこの綺麗な顔も一緒に見ていたいから……馳河君、フェラは得意?残さずごっくんした後、お掃除まで出来る?」
そこでようやく、ランガは彼が自分に近付いてきた本当の理由を理解した。彼との間に絶えずあった違和感と不快感も今やっと腑に落ちた。ここまで直接的な行動と物言いをされなければ気付かない自分の鈍さにほとほと呆れながら、ランガは力なく首を横に振った。
「……できません。おれ、好きな人がいるから」
「はは、若いなぁ。心と体なんて分けて考えればいいんだよ。大丈夫、本当の快楽を知ったらやみつきになって、すぐに自分からおねだりするようになるから。赤毛君とのテクの違いも知って欲しいし、僕とも試してみようよ。欲求不満防止のためにも、セフレは多い方がいいだろ?よかったらこの後すぐホテルに、」
バン!と派手な音を立てて襖が開いた。
「頭沸いたこと言ってんじゃねえ!!」
ガッ、と鈍い音がして次の瞬間、男が鼻を押さえて蹲った。きゃあ!と外で叫び声が上がる。私服姿のままの暦は、ずり落ちたパーカーを直しもせずに肩で息をしながら、ぎらぎら燃える目を男からランガに移した。まるで睨み殺さんばかりのその強い眼差しをまともに受けて、ランガは身動きできなかった。否応なしに自分がまた、彼をひどく怒らせてしまったことを知った。
強引に腕を引かれて早足で通り過ぎる道すがら、同じクラスの友人らに遭遇した。声をかけてもまるで視界に入っていないかのような暦の態度に何かを察して、彼らはランガに「何があったか知らねーけど、ちゃんと仲直りしろよ」と同情するように言って寄越した。
夜のピーク時間前の店に客はまばらで、個室だったことも幸いして大した騒ぎにはならなかったが、温厚で人当たりのいい暦の起こしたまさかの暴力沙汰に、同僚スタッフたちは驚きを隠せなかった。そのうちの一人が直前にランガに対するセクハラを目撃していたことで、どうやら「同郷の親友」に対する「度重なる嫌がらせ行為」に激昂した暦がとうとうブチ切れたのだと、大方で納得したようだった。バックヤードで暦はずっと口を噤んでいた。一応の被害者である男が「仕事に響くから大事にしたくない」と言ったこともあり、特にお咎めはなかったが、店長の「お前ら今日はもう帰れ」という有無を言わさぬ一言に、暦はようやく立ち上がると深く頭を下げた。隣で立ち尽くしていたランガの手を引くと、二人は無言のまま店を出た。
アパートに帰り着くまで、暦は一言も発しなかった。力いっぱい握り締められていたランガの手首は赤く変色していたが、そんなことはどうでもよかった。玄関のドアを乱暴に開けてランガを先に押し込んでから、暦はガチャガチャとやたら大きな音をたてて鍵を掛けた。
「ッなんでお前はそうなんだよ!!」
苛々した口調で暦が吐き捨てた。怒りと失望と諦めが混じったような悲痛な声に、ランガはどうしようもなく悲しくなって、胸が詰まる思いで「ごめん」と小さくつぶやいた。
「ごめん、ってなんだよ。お前わかってんの?俺がなんで怒ってんのか、ほんとにわかってんのかよ?言ったよな、お前は俺のもんなんだから、他の奴に勝手に触らせんなって。お前が触られんの、俺はめちゃくちゃ嫌だって。なのになんでろくに抵抗もしねーんだよ!好き勝手言われてなんで黙ってんだよ!自分がアイツからどんな扱い受けたのか、ちゃんとわかってんのか!?」
「わかってる……ごめん、心配かけて、また嫌な思いさせて。でも、ほんとにただの友だちだって思ってたんだ。……ただの、」
強調したところがわざとらしく聞こえたみたいだった。暦はさっきよりいらいらした調子で舌打ちした。普段そういうことをしない奴だからなおさら不機嫌なのが見て取れて、ランガはああまた失敗した、と思った。
「ただの友達に、あんな好き勝手に触らせんのかよ!」
ぐい、とランガの襟元を掴んで、鼻先が触れ合うくらいに顔を近付けると、暦は嫌悪感を振り払うように頭を振って、引き攣る声を無理やり張り上げた。
「お前はそういうヤツだって、わかってる。俺との約束破って、俺じゃない奴に夢中になって、放っといたらそのまま戻ってこねえって、知ってる。昔からそうだったもんな。だから今も、いつお前が新しい誰か、何か夢中になれる新しいもの見つけて、どっか行っちまってもちっともおかしくねーってわかってるよ。……だけど、今はまだ、俺のもんだろ。お前に触っていいのは俺だけだろ。俺のこと好きなら、まだ好きならさ、少しは俺の言うこと聞いてくれよ。触らせんなよ、体も、髪も、顔も、どこだって嫌なんだよ。わかれよ。なんでこんなこと、今さら俺に言わせるんだよ!!」
険しく吊り上げられていた目尻が歪んで、ボスン、と額がランガの肩に押し付けられた。暦の肩が小刻みに震えていることに気付いたその瞬間、ランガの目にぶわりと涙の膜が張った。
——なんでこんなこと言わせちゃうんだろう。何で、大好きな人に、レキに。おれはこんな思いをさせてしまうんだろう。
「レキ、……レキ。ごめん。今だけじゃなくて、……いつかも。おれ、同じことしてたんだね。知らないうちにレキのこと、たくさん傷付けてたんだ。それなのにこんなこと言って、また怒られるかもしれないけど」
後頭部に腕を回して抱き締めると、ぎゅうっと力を込めて、ランガはひとつ息を大きく吸って、吐いた。
「……おれ、レキ以外の人は誰でも、ほんとに誰でも同んなじなんだ。興味も関心も、好きも嫌いも、ぜんぶ。レキにもっと人付き合いを大事にしろって言われて、そうなのかな、そんなもんなのかなって思った。言われる通りに友達も作ったし、みんなと一緒に居て楽しいけど……でも、ほんとはそんなのどうでも良かった。だっておれがここに居るのは、レキと一緒にいるためだ。レキと離れたくなかったから沖縄を出たんだ。おれはレキが居ないところでは、どうしたって生きていけないってわかってたから。
あの人にも、何も感じなかった。個人的な友達になってほしいって言われたけど、結局はあの人もおれにとっては他の誰かと同じだから、どうだってよかったんだと思う。でもさっき、彼の目的がおれとのセックスなんだって気付いて、……すごく気持ち悪かった。誰にどんなふうに触られたって、そこに少しも意味なんかないって思ってたけど、違った。
おれ、レキ以外の人とセックスなんて出来ない。レキがもしおれ以外の人とって考えただけで、死にたくなるほど嫌だ。おれ以外の誰かの中に、レキが……そんなの想像したくもない。だから、もう誰にも絶対に触らせないって約束する。今度こそ必ず守るよ。だからお願いだ、もう一度だけおれのことゆるして。おれの体も、髪の毛の一本だって、爪の先まで全部、ぜんぶレキのものだよ。
レキが好きだ。レキと一緒に暮らして、毎日いっぱい愛して貰って、おれ今めちゃくちゃ幸せなんだ。今までも、この先もずっとずっと、おれにはレキだけだ。大好きなんだ」
ゆっくりと体を離した暦の、目尻がほんの少し赤くなっていたことには気付かない振りをした。彼のプライドが、自分の前で泣くのを絶対に許さないことをランガは知っていた。
『好きなヤツの前ではさ、カッコつけたいじゃん』
——レキはいつだって、格好いいよ。
ランガの目を真っすぐに見詰めて、暦は掠れた声を絞り出した。
「……今、一つだけ。俺の言うこと聞いてくれるか?」
うん、とランガは素直に頷いた。「行こうぜ」と促されて、ようやく二人で靴を脱いだ。ずいぶん長いあいだ玄関先で口論していたのだった。寄り添うようにして狭い廊下を歩いて部屋に入って、流れのままにソファに腰かけると、暦はチェストの引き出しから工具用の鋏を取り出した。ワイヤーのカットに何年も愛用している、少し刃の錆びた年季ものだった。
「切っていいか」
何を、とは聞かなかった。仮にこれで喉を突けと言われても従ったかもしれなかった。なんとなくわかっていたので、ランガは目を閉じて、そっと首を傾けた。
暦の指が耳に触れて、髪を掻き上げた。次の瞬間、ジャキン、と鈍い音がした。
ソファの上に、スノウグレイの髪の毛が散らばる。ランガはゆっくり目を開いた。目の前の暦が一瞬だけ嬉しそうに笑って——けれどその表情はすぐにくしゃりと苦し気に歪んだ。
「……ごめん……」
耳の上あたりに手をやると、一か所だけ不自然に短くなっているのがわかった。切り口がぼろぼろで、指を梳かすとぱらぱらと落ちてくる。派手にいったな、と思わず口もとに笑みが浮かんだ。
「ランガ、俺、……お前が好きだよ。お前のこの髪も好きだ。陽に反射するときらきら光って、眩しいくらいの青に変わるのがすごく綺麗で、傍でずっと見てたいっていつも思ってる。……だから、そこが汚れたのが許せねぇんだ。どうしても」
俯いてしまった暦の顔を下から覗き込むと、ランガは力なく落ちた手をとって自分の腰に回させた。無意識下で境い目を撫でる慣れた指の動きに、背中がぞくりと粟立つのを感じた。
「……触られたのは髪だけじゃないよ、レキ。だからちゃんと、上書きして……」
いつだっけか、暦が友達に借りたっていうDVD。部屋のベッドの下に隠してあったそれを見つけて、おれの家で一緒に見たんだ。まだあの頃はおれたち「普通の」友だちだったから、暦は「どんな顔して見りゃいいんだよ」とか言ってたけど、いざ始まったら大爆笑だった。お腹の突き出た禿げたおじさんが、アレをズボンから出して扱きながら女子高生(の格好をしたお姉さん)に迫ってて、最初は生意気だったお姉さんが次第におじさんのに釘付けになって、そのままろくに抵抗もしないで簡単に服を脱がされちゃうんだ。「いやそうはならねーだろ!」「捕まるよ!」とか二人でひぃひぃ笑いながら見てたんだけど、だんだんヘンな空気になっていった。おじさんのモザイク越しでも赤黒くてグロテスクなやつを挿入された瞬間、お姉さんがめちゃくちゃ大きな声を出して、もちろん演技なんだろうけど、その声がやたら迫真に迫ってて、おれはひそかに「あれは本当に気持ちいいんじゃないかな」って思った。顔のアップで、彼女の口の中が糸を引いてるのが見えたから。おじさんがお姉さんの上でカバか何かみたいにずんぐりむっくり動くたび、モザイクのかかった場所からぐっちょぐちょ濡れた音が聞こえてきた。おじさんがお姉さんの耳もとで『ええか、なあ、ええんか?』ってはぁはぁしながら聞いたところで暦がおもいっきり噴き出した。「なんつうコテコテの関西弁」って笑ってる暦を見ておれも笑おうとして、でもその時、暦のズボンの前が張ってるのが見えて、そこから画面に集中できなくなって、……あの後どうなったんだっけ?おれが、暦の真っ赤な顔を盗み見てるあいだ、おじさんはずうっと腰をネチネチ動かしてて、横目で流し見してたその動きがすごく、……なんで見知らぬAVおじさんのことを今ごろ思い出してるかっていうと、
「あっぁっ、イッて、レキ、お願い……」
ゆるゆるした腰の動きが、もうずっと続いてるから。
ゴム越しの暦のペニスが、いやらしくひくひくしてるナカにぬるっと入ってきて、その形をわからせるみたいに壁にごりごり押し当てて、ぐりっと抉ってから、反り返った太いエラの部分でずるぅっと引っ掻いて出て行く。しつっこいくらい、その繰り返し。ぬるい快感がずっと続いてて、でもいちばん好きなところに決定的な刺激はもらえなくて、おれは暦の首根っこに齧り付いたまま、気付いたら自分で腰を動かしてた。
「、んだそれエッロ……」
三週間ぶりに抱かれる筈のおれの中が、ろくな準備もなくすっかり出来上がっていることに、暦は呆れたような、困ったような、それからどこか意地悪げな顔で笑った。
「こんな仕上がってんのに、早く帰って何を準備したかったんだよお前」
ぬぶ、とまた酷い音がした。――ぁ奥、入って、
「ッんん——♥」
勢いのついたペニスが、ばちゅん!って奥の気持ちいいところをおもいっきり突いた。鼻から抜けた溜め息が口から漏れる。ぎりぎりまで引き抜かれた先端が、入り口の浅いところをぐりっと擦った瞬間「あっ!」ひときわ高い声が出た。お腹にじわっとあったかいのが垂れる感触があって、おれは自分だけがまただらしなくイかされたことを知った。ひっくり返されて後ろから遠慮なくずぽずぽされながら、いいかげん薄くなってきた精子がぴゅくぴゅく押し出されて、ソファの上に恥ずかしい沁みを作るのをぼんやり見詰めた。あぁ、暦のまだすっごく硬い……。
「クソ……欲求不満てのだけは、当たってたよな」
「んっんっ、んっ」
「、狭っま、ぁすげ、ナカうねって……」
いつもならもう二回は出してるのに、今日はまだおれの中で、暦のはずっとガチガチなまま。今も出したいのを必死で堪えてるのか、フーッ、フーッて歯の間から漏れる動物みたいな息が耳に直に吹き込まれて、欲望がダイレクトに伝わってくる。いつでも、好きなときに出していいのに、射精しそうになるたび奥歯を食いしばってガマンしてる暦に、おれはもう何度目になるのかわからない懇願をした。
「イッて、早くイッてぇ……。おれのナカに出して、レキ、も、早くぅ」
前触れなく、暦のペニスがぬぼっ!と引き抜かれた。それまでナカを埋めていた太くて硬いものがなくなって、ぽかっと空洞が出来た感じだった。ずっとだらだら気持ちよかったのをいきなり取り上げられたおれは、突然の空虚な喪失感みたいなものに陥った。
「あッ何で、なんでぇ?ぬっ抜かないで、イヤだ、」
「……な、ランガ」
びたり、後ろのひくつく穴に濡れた熱いものが押し付けられた。おれはすぐにそれが、ゴムを外したレキの生のペニスだってわかって、泣き出さんばかりに歓喜した。ナカに出してもらえる!また仰向けにされて上から見下ろされる形になって、自然に足が開いた。期待と興奮で我慢できなくて、すり、といやらしくお尻を擦り付けてしまう。おれの上に乗っかった暦が、すごく真面目な顔をしてもう一度「ランガ」って呼んだ。その時の暦の顔がなんだかすごくカッコよくて、おれはもううっとりして「なに……?」と聞き返した。
「お前、俺のコレ、好きだよな?」
「……へ?」
ぬ”っ、と前触れなくいきなり入ってきた生身の感触に、かはっと咳き込むみたいな息が漏れた。
「あ”っ!?ぁっ熱い、レキあついっ」
「じゃなくて、気持ちいいだろ。なぁ、好きだろ?」
ぬっぬっ、前後に押し引くみたいにゆっくり出し入れされるのはさっきと同じなのに、エラのごつごつしたところ、くびれの部分、竿に浮き上がった筋の形までわかる気がして、ゴム越しのときの何倍も気持ちよかった。——熱い。かたい。ずるずる擦られて、先っぽ濡れてぬるぬるで、ビクビクしてて、
「あっぁっあっ、すご、いいっ、好きっ」
「……あのクソ野郎、出し入れしか能がないとかテキトーな事ブッこきやがって……!」
中でぐりぐり腰を回しながら、途中でおれの顔を覗き込むと暦はしつこく何度も「いいだろ?」を繰り返した。
「いいよな、ランガ、俺のちんこ好きだよな?ナカのイイとこ、ここちょっと擦ってやったらお前、いつもすぐイッちまうもんな。なぁ、いいだろ?太くて硬いのでごりごりすんの好きだろ?他のヤツより俺のが一番いいよな?」
——いちばん、一番って……、だっておれ、レキしか知らない……。
「あっん、んん、れ、レキ、それやだっ……なんか、あのおじさんみたい」
「おじさんて誰だよ!お前ふざけんなよ!!」
奥を突かれて仰け反ったとき、切られた髪の毛がぱらりと頬に落ちた。暦はハッとして、思わず動きを止めた。何か言いたげに開いたその口に、よだれでべとべとの唇をむちゅっと押し当てた。
「らン、」
「レキが好き。レキがいちばん好き。レキだけが好き。おれはどこにも行かないけど、心配なら繋ぎ止めてよ。おれのこと、もっとレキでいっぱいにして。今よりもっと夢中にさせて……」
いきり立って膨張した暦のペニスが震えて、あ、来る、とランガが思った次の瞬間、ドピュ!と大量の精液が勢いよく中に注ぎ込まれた。
「うっ……!」
一度ではとても収まらず、暦はランガの腰を痕が付くほどきつく掴んで、歯を食い縛って二度、三度と続けて射精した。自分の中にびゅるびゅる出される暦の精子を一滴も逃すまいと、背中を両足でがっちりホールドして、ランガは恍惚の表情を浮かべた。
(三週間ぶりのレキのsamen……おれのナカにいっぱい出たぁ)
射精は長く続いた。最後の一滴まで出し切ろうとゆさゆさ腰を揺すって、最後は壁に擦り付けるようにして吐き出すと、暦は満足げにはぁ~っと大きな溜め息を吐いた。まだ余韻が残るうちにヌポッと性器を引き抜くと、どろりとした濃い精子がランガの中から溢れ落ちた。
「ぁ……ん」
ぱっかり開いたままのランガの脚の間を、暦は食い入るように見つめた。緩み切った小さな穴から自分の精液がトロっと流れ落ちる光景に、男としての征服欲がこの上なく充たされるのを感じた。
「、レキ……」
伸び上がってキスを強請ると、口を開いた暦が文字通り噛み付いてきた。口内をさんざん蹂躙されて、歯並びを確かめるように隅から隅までべろべろ舐められて、舌を挟んだ歯でがじがじ噛まれて、やっと離れた唇の間に粘っこい唾液が糸引くのを薄目で見ながら、ランガはふふっと嬉しそうに微笑んだ。
——何度だっておれの中に出して。ぜんぶ流れてなくなっても、また注いでほしい。レキの全部、ぜんぶ。いつだっておれが受け止めるから。
「レキのスケベ」
「……お前それ、3回目」
ベッドの上でまどろんでいたランガは、何気なく見たスマホの通知に一瞬だけ眉をひそめた。着信が10件、メッセージが5件。どうしようかな、と少し悩んだが、まあいいか、と開いた。すべて同じ相手からだった。
【夕べは本当に申し訳なかった】
【心から反省してる】
【不愉快な思いをさせたことは謝る。でも僕は本気だ】
【君が誰を好きでも構わない】
【君と特別な関係になりたいと今でも思ってる】
朝から動けないランガの代わりに、暦は買い出しに出かけていた。出掛けに「今のうち休んどけよ」と言った暦の顔を思い出すだけで顔が蕩けてしまう。帰ってきたらまたするつもりなんだ。レキのエッチ。大好き。早く帰ってきて……。
『友達になれなくて残念です』
間を開けずに返信が届いた。
【僕に、もう少しもチャンスはない?】
慣れた横文字の所為か、いつもより入力から送信までが早い。レキは英会話が苦手だし、授業で苦労してるみたいだし。これからは英語でメッセージしてみようかな、と思い付いた。それと、セックスの時に英語でコミュニケーションしてみるのはどうだろう?レキに教えてもらったから、おれはいつも「イク」って言ってるけど、それって割りとマイノリティで、向こうでは断然「来る」なんだ。絶頂のときにおれがいきなり「I’m coming」って言い出したら、レキびっくりするだろうな。
『レキの他には誰も欲しくありません』
今度は少し遅れて返信が届いた。
【そんなに若いうちから、もう一人に決めちゃうの。彼よりいい男なんて幾らでもいる。いつか後悔するかもしれないよ】
いつかおれが誰か、何か新しいものに惹かれて、どこかへ行って戻ってこないって、まるでレキの中ではもう決まってることみたいだった。いつからそんなふうに考えてたのかな。高3の夏、進路を決めた時には既にそうだったのかもしれない。……馬鹿だな、レキは。あいかわらずスケート以外、てんで駄目なんだから。黙って居なくなっちゃうのはいつだっておまえの方なのに。だからおれがしっかり手を握ってなきゃだめなんだ。
『レキを愛してます』
それだけ送信して、ブロックして、削除した。
がちゃんとドアが開いて、ついでナイロン袋ががさがさ擦れる音がした。ランガはスマホを放り投げると、だるい腰を叱咤して、ベッドからのろのろ這い出して玄関に向かった。部屋を出る際に、鏡に映った自分の姿がちらりと見えた。短くなった髪を誤魔化すために縛っているヘアゴムは、今朝がた暦が作ってくれたものだ。小さいプラパーツを器用に削ってアクリルの絵の具で仕上げた、ボードとお揃いの可愛い飾りが付いてる。「伸びるまでこれ着けててくれな」って眉毛を下げて言いながら、沖縄の家で小さい妹たちにしてたのと同じように、指でおれの髪を梳いて、丁寧に結ってくれた。
——レキ、おれはおまえの傍を離れたりしない。レキがいつか沖縄に戻るなら、そこがおれの本拠地になるし、もしもおれが拠点を世界に移す時は、おまえを連れて行くよ。レキがどこに居たっておれはぜったい追いかけるし、世界のどこへでも、かならずレキを連れて行く。そう決めてるんだ。もしもどうしても離れなきゃいけない時が来たら、その時は一緒にカナダに行って結婚しよう。たとえ紙切れ一枚でも、国を出たら無効の限定的な契約でも、おれたちがお互いだけのものだって、おれたち二人だけが知ってる約束があればいい。そうだろ?
玄関先で振り向いた暦が気付いて、ビニール袋を取り落として駆け寄ってきた。途中で力が入らなくなって膝を付いたランガの背中を両手を広げて抱き止めると、ま白い耳もとに唇を付けて優しくささやいた。
「……ただいま、ランガ」
そのまま耳から頬、おとがいをやわらかく滑って、くちびるに触れてすぐに離れた。時間を置いてまた触れた時、今度はぬるりと舌が入ってきて、暦の腕の中で情熱的なキスに骨抜きになりながら、ランガは幸福な笑みを浮かべた。
レキ、好きだよ。大好きだ。……人生ってやっぱり、素晴らしいな。
「おかえり、レキ」
ずっとずっと、無限にレキと一緒に居る。約束だ。